2011年12月21日水曜日

共通言語というもの。

実は今週から休暇のはず(正確には契約と契約の間の強制的お休みです)なのに、昨日も今日も呼び出しくらってずっと仕事。しかも、昨日呼び出してき たのは、「休日に仕事をするなんて言語道断!」といつも私に言っている同僚。大変申し訳無さそうでした(苦笑)。いいって、そもそも2人の仕事なんだか ら。昨日は、「休みたい、休みたい・・・」と心の中でぶつぶついながら、オフィスまで雪の道をてくてく歩いてい たのですが、結局激しいディスカッションの末に議論がまとまって、重要なタスクを終えられ、達成感を得ることができたので、よしとします。

際機関で働く難しさの1つは、思考方法の全く異なる人たちとコンセンサスを得て、ひとつのものを作り上げていかなければならないこと。南ヨーロッパ出身者 の多い我が部局においては、時に「この人たちと理解しあえる可能性は・・・ない!」と断固諦めの境地に速攻ダイブしてしまいそうになることが多々ある。サ ンプル数が少ないので、当てにならないかもしれないけれど、今のところ私はロシア人とはかなり思考回路が一致する(なので、しばしば議論する際の見方につ け、対陣を組む)。日本人はばっちり(当たり前?)。アメリカ人も大丈夫。フランス人とも大概いけるかな。イタリア人とは日々戦いです・・・。

イタリア人で「あ~、この人はO型に違いないな。すごいおーざっぱだもんな。」(でも、面白いアイデアもぽんぽん出してくるから、違う視点で尊敬していま す、一応言っとくと)と信じて疑わない上司から「僕は細かい仕事が得意なんだ。誰も気づかない詳細を細分化してまとめていくのがね。」と本気で言われたと きは、眼が点になって、口から泡を吹きそうだった。「・・・ この、限りなくO型に近いとはいえ、一応几帳面なA型の端くれである、しかも、ただでさえ仕事が丁寧だと一般的に定評のある日本人のわたしに言うか、それ」と心の中で思いましたが、とりあえず微笑んでおきました。何事も相対的ですから、きっと彼はイタリア人の中では「几帳面、細かい」男なのでしょう・・・。

そんな人種の坩堝の中では、例え使っているのは共通言語であるところの英語であっても、全く別の言語で会話している、と思っていい。すると、本気で考えないと、気づかぬまに誤魔化され、流されていってしまうことがたくさんある。特に、きれいな英語にはだまされがち。

でも、その詳細に1つ1つ立ち止まって、本気で考えてみる。ロジックを分解してみる。当事者になって想像してみる。そして、誰もが同一の理解をできるように 図式化してみる。できないってことは、何かがクリアじゃないってこと。「で、何がいいたいの?」「Aのあとに、Bにいって、最終的にどこにいけばいい の?」となることが、ものすごくものすごく多い。

世界基準を作るということは、文化や価値観や経験や立場や思考方法 の全く異なる人たちみんなが、同じものを見て、同じものとして認識し、行動することができるようにすること。そのためには、自分のJudgementを過 信しない。だって、私のJudgementは私の経験と価値観に基づいたものだから。経験がもっともっと増えるまでは、信頼するのは、先人たちの Judgementと科学的根拠と直感。

若手という立場を使って、納得いかないことは、しつこくしつこく質問する。 何度も何度もぶつかるけど、ぶつかっているうちに、少しずつ、各々が見ている方向が近づいて、重なり合っていく。そして、突然突破口が見えてくる。若手だ からこそ貪欲にその努力を惜しまず、有益な議論を引き起こし、合意形成を促進する触媒でありたいと思います。

どんなに忙しくても、私のしつこいクエスチョンに、めんどくさがらずに「I love fighting!」と本気でぶつかってきてくれる上司たちの(いや、Fightingじゃないんだけどな・・・)、わたしは心から感謝しています。

でも今日は呼び出しきませんように、ナムナム。


Though I am supposed to be on contract break from this week, was called out for meetings and stuck in office both yesterday and today. But today, am having a sense of achievement after a big discussion and finally reaching a sort of consensus (in a team).

A difficult thing about working for international organization is that you have to reach consensus and produce a product together with people who have completely different cultural/educational background and ways of thinking (and who all think he/she is the best). 

Beautiful writings and talks often hide deceptions that you could let go unnoticed if you are not paying serious attention but that completely mislead us.  

I stop at every detail, give a serious thought to it, try to imagine myself in a situation where I have to use what we are about to announce/publish, or visualize and conceptualize it. If I cannot, that means there is something unclear about it. I question and question until I am fully convinced. Only after hours of arguing and fighting for a truth, the direction each of us is looking at slowly begins to converge. Then there is a time you suddenly see a way out of darkness. I believe that one of the roles of a junior staff like me is to spare no effort to masticate, visualize and question …  to catalyse and facilitate useful discussion in a team for consensus building.

2011年11月23日水曜日

30代は、修行の時なり。

今日は実はお休みを取って家にいました。

理由その1は、午前中に電気屋が何かの点検にくることになっていたため(しかも、5回くらい訪ねてきていたみたいだけれど、毎回私は家にいなかったので、そろそろしびれを切らした張り紙がドアに張り付いていた・・・すみましぇん。)

理由その2は、午後に来年のポジションの電話面接があり、オフィスメートの横でインタビューを受けるのも嫌だったので、家で電話を受けることにしたのでした。で、どうせオフィスに来ても、面接の準備と緊張で仕事できないだろうし、かといって、やたら邪魔が入って準備すらできないだろうし、ということで。

ちなみに、私のオフィスは、本当に邪魔に来る人が多い。もちろん、アドホックに仕事をお願いしに来る人は当然多い。愚痴を言いに来る人も多い。私の引き出しがいつしか共有のお菓子入れになっているので、休憩しにくる人、お腹が減ったら助けを求めて来る人も多い。色んな情報が集まるし、気分転換にもなってたいがい光栄なんだけど、本気で終わらせなければ死ぬような仕事がある場合は、有給とって家で仕事したりして・・・。

ちなみに、面接はまあまあでした。面接の後は決まって一人反省会。あぁ、なんでああやって答えられなかったんだろう、こう言えばよかった、って後悔いっぱい。特に、1つのテクニカルな質問で、一度答えたら「そこ、もうちょっと詳細言って」と突っ込まれて、おいおい、上司、そこ、つっこむかよ、と思う間にアワアワしてしまいました。あーあ。悔しい。

でも、面接って、TOEFLと同じで訓練と場数なんだろうな、と思った。今回は、面接官が自分の上司ばかり3人だったので、良い練習になりました。あと、私は咄嗟に準備できていないことをしゃべれない(つまり、頭の回転が遅い)ということが再認識され、今後の課題が浮かびあがりました(コミュニケーションのトレーニングでも受けようかな・・・)。

ちなみに先週も怒涛のように過ぎ去り、しかも、最後のほうに、ついてないことがいくつかあって、ちょっと落ち込んだり、同僚と兄弟げんかのようにやりあったりして、精神的に疲れました。やりあいしてしまうのは、お互い先々週からの疲れが溜まっている性もあるんだよね。よくない、よくない。

ちなみに毎回ちゃんと仲直りするし、今日も面接終わった瞬間に「おわったよぉぉぉ」って真っ先に電話した相手は彼だし、「本気でやりあえる兄妹のような仲間がいること」の幸運を思うのですが、同時に、エネルギーを結構消耗するので、本当はやりあいたくないの。でも二人とも頑固なのよね。

これは、(1)他人の意見を素直に受け入れる寛大な心と、(2)それでも自分の信念を貫きたい場合には、相手と波風立てずに相手を洗脳?する技術を身につけるための神様からのチャレンジだ、と考えて、訓練をつみたいと思っております。。。30代は、修行の時なり。辛い苦言も、不条理なアタックも、逃げずに心静かに聞き入れ(あるときは聞き流し・・・)、心に波風立てずに、落ち着いて対処できるようになりたいと思います。30代、試練がいっぱい。

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そんなわけで、相変わらず、できる限り遊びを交えて気分転換を試みる毎週末。

先週は同僚たちと、車で5分のフランス国境をわたった先の土曜市場へ『醤油』持参で繰り出し、久々の刺身と生牡蠣(皿をオーダーすると、その場で食べれて、しかも無料で白ワインがついてきます)で腹ごしらえ。

この豪快なマグロよ・・・。次回はぜひ、わさびと、ついでにハンドバック的に炊飯器も同伴したい。




それから同僚の自宅マンションが所有する無料テニスコートを拝借して、久々になんちゃってテニスをしました。テニスラケットを握るのは久しぶりたったけれど、右に左にたくさん走って、いい汗かきました。雪が降り出す前にもうちょっとやりたいなぁ。

そして今週末は、まず土曜に、ジュネーブから電車で3時間のルツェルンで、チューリッヒから来るナム氏と合流(チューリッヒからルツェルンは40分くらい)。その近郊のティラピス山へ向かいました。

ティラピス山は、世界一勾配のきついラックレール登山電車で登ります。この傾斜・・・。



これに揺られて40分上に上にあがると、雲の上に到達します。



雲海とそこから突き出た山々を肴に、ホットワインをちびるわたし。わたし、頭がツクシ化しているよ。



こんな高いのに、なぜかカラスがいっぱい。




そこから今度はロープウェーで下山し、その夜はルツェルンのバックパッカーホテルへ(社会人になっても、相変わらず倹約旅行でし)。

翌日はチューリッヒに戻り、朝からオペラハウスのベネズエラ・ユースオーケストラ公演へ参りました。

ベネズエラでは、政府資金と寄付を使って、元ストリートチルドレンたちを含めた子供たちに放課後に楽器を教えて、子供たちを犯罪から守る、という教育制度を実施して、200以上の青少年オーケストラを運営しているそうなのですが、今回見に行ったのは、その選抜隊のヨーロッパツアーでした。

オーケストラのクオリティを判断する専門知識のないわたしですが、若さゆえのパワーと躍動感、そして、体は大きいけれど、まだ顔はあどけない子たちが音楽に陶酔して楽器を奏で、最後に晴れ晴れと達成感に溢れている様子に、とても感動しました。



Simon Bolivar、素晴らしい試みだと思う。オーケストラを上から眺めてつくづく思ったこと。これは、まさに社会、そして組織の縮図だなと。同じステージに立った演者それぞれ、楽器によって、タイミングによって、目立つべきところ、控えるべきところ、立場も役割も違う。けど、1人でも欠けたらいけない。全員が必要。そして、全員が指揮者を信頼して、指揮者の示す道筋にしっかり合わせて、全員一丸となって、お互いを補い合って、一歩一歩進んでいくことによって、最終地点に到達して、ひとつの題目が完成される。そんなことを体で学んでいく経験。しかも、普通だったら、比較的裕福な家庭の子供にしか足を踏み入れることのできない世界だけれど、ベネズエラ政府は、自らの資金で全ての子供たち(例えストリートチルドレンにも)に同様に(おそらく、I hope…)チャンス(つまり楽器)を与えている、っていう。そんなことを考えて、本当に感動しました。

こういう教育制度、世界中でやったらいいのにな。こういうところにこそ、どんどん投資すべきだよ。

なかなか素敵な週末でした。明日からまたポジティブに頑張りまふ。

2011年11月5日土曜日

きのこと議事録との戦い

この1週間、また色々色々あったのですが、結果として、さわやかな達成感を持って迎えております今週末。今週末はもう仕事しないぞ~ O(≧▽≦)O

まず先週末。
仲良しをお招きして、我が家で小さなホームパーティを開きました。今回は、ナムが「みんなにベトナム料理を作る!!」というので、わたくしは食器洗いに徹しました。メニューはフォー、揚げ春巻き、揚げ豆腐、豚団子ハーブ巻き、Xu Xu (ハヤト瓜)、サラダ、トロピカルフルーツポンチ。



ナム氏、Good jobでした。これに懲りず、ますます料理のレパートリーを増やし続けて、わたくしの食生活を豊かにしていただきたいと思います(ナムがいない平日の私の食事はそれはそれは乏しいもので・・・汗)。

ちなみに、ゲストの1人は生後6ヶ月のお嬢様、もう1人は1歳半(だっけ?)のお兄様。我が家はまるで託児所のようで、癒されると同時に、「母となること」に要求される凄まじき強靭さ(精神的にも肉体的にも)をまざまざと見せ付けられました。みんな、すごいよ。心から尊敬します。私なんか、まだまだ自分だけで精一杯・・・ (; ̄д ̄)

水曜からは、とある専門家会議に缶詰でした。会議の目的は、住血吸虫を世界から本気で制圧していくための戦略計画を策定すること。

私は、別の2つの寄生虫症疾患の戦略計画を担当。今回の住血吸虫は私の同僚が担当していて、私はあくまで、今後10-20年で必要となる駆虫剤量を予測して発表するだけの役割。なので、月・火でしこしこ分析・プレゼン作り。

精神的に煮詰まってきたので、火曜の昼休みにロシア人の同僚で、自称きのこ博士であるところのDr Mushroomと一緒に、車で10分のところにある森へ行き、お散歩しながら、野生きのこ狩りをしました。ロシアではきのこ狩りは国家スポーツで、同僚はソビエト連邦が解体して給料が払われなかった数ヶ月は、毎日奥さんと森に行って、きのこを集めて食いつないでたんだって。



ロシア語→英語→日本語翻訳によりますと、『ナラタケ』というきのこのようです。ただし、その夜は疲れきっていたので、きのこたちはそのままに、私はベッドへ・・・zzzz

そして、水曜。
会議に出席するや否や、いつの間にかRapporteur(報告者。会議の議事録を作る人)に任命されてしまった ∠( ゚д゚)/ 「え」 聞いてないよ。そして、会議後。翌日のディスカッションに向けて「本日のサマリー」をまとめ、そこで終わってもよかったんだけれど、このまま明日の会議が始まっても、ディスカッションが宙に浮いて、金曜までにみんな好き勝手に討議して、結論が出ないのが眼に見えていた。住血吸虫の会議は今まで大概がそういう感じで終わっていたのを知ってる。

担当の同僚に「ねぇ、ねぇ、こういうの作らないと、明日明後日は大変なことになるよ」と一応耳元で囁くけど、反応はいまいち。知らん振りすることもできたけれど、住血吸虫で苦しむ子供たちのことを考えたら、もうこれは自分でやるしかない。『議事進行プレゼン』を作る覚悟を決めました。メールでやり取りしてできることは全部後回しにして、この2日間でみんなで頭つき合わせて決めなくちゃいけない項目(目的地)を絞って、それぞれの項目のディスカッションをさらに目的地まで操縦するための道筋を担うプレゼン。

ただし、先にきのこの下準備をしなければ・・・。

ということで、疲弊しつつも、Dr Mushroomの教えに従い、(1)まず軸をとって、綺麗に水洗い(まだ、なめくじとか付いてた)、(2)少量の水で10分ボイル、(3)茹で汁を捨てて、水洗い、(4)調理した・・・つもりだったのですが、疲れきっていたため、茹で汁をちょっと使ってスープにして(ほら、乾し椎茸のだし汁って、美味しいじゃない・・・)、ご飯にかけて飲んだしまった!

それから!!!お腹がぎゅるぎゅる・・・おえっ、吐き気はするしl、頭は痛いし、PCのスクリーンを見つめる体力が・・・(でも、一応言っとくと、きのこ食べる前から、疲れきっていて、体力なかったのね)。

そこで思い出したDr Mushroomの一言「ヴォッカは、風邪の引き始めや細菌感染の万能薬」。Dr Mushroomが我が家に貯蔵?しているヴォッカ瓶から1ショットをごくり。そして、その夜は早めにベッドへ・・・ZZZZ

木曜。
翌朝5時半に起きて、激しい下痢ぴ(失礼!)と戦いながらも、プレゼンをつくり、なんとか会議へ向かいました。

その後も2日間、Rapporteurとして会議に缶詰。ただし、この『議事進行プレゼン』のおかげで、木・金の2日間のディスカッションは作戦に全く忠実に進み、焦点がはっきりと絞られたおかげで、討論も白熱して、金曜の会議の終りには「久々に興奮したよ!とても面白い会議だった!」と専門家の皆様に感謝してもらい、さわやかな達成感を得ました。

体力的には最悪で、途中で何度か頭痛薬と下痢止めを飲みながらの戦いだったけれども、諦めずに最後まで歯を食いしばって頑張った甲斐があった。

某先輩が言ってた。「黒子に徹し、プロデューサーたれ」と。

会議ひとつ開くにも大きなお金を使う。お金を使うからには、絶対に成果を出すのが責任。会議の企画者は、プロデューサー。世界中から招待されてきた専門家たちは俳優。プロデューサーは、その会議のディスカッションの目的地を事前に見据え、シナリオを作り、俳優たちの専門性を上手く引き出しながら、目的まで裏で動かしていく。今回の経験は、自分にとっても、大きな勉強と自信に繋がりました。

そして・・・黒子も、やっぱりその裏の努力を認めてくれる人がいると、嬉しいよね。人間だもの。

ちなみにDr Mushroomが、私の戦いの逸話を聞いて一言。「あや・・・君がやったことで正しかったのは1つだけ・・・それは、最後のヴォッカね・・・。」  ちなみに下痢にヴォッカは効くらしいんだけど、嘔吐にヴォッカは最悪らしい。ロシア理論。

みなさま、野生きのこにはお気をつけあれ~。ちなみにスイスでは野生きのこ狩りは割と一般的で、スーパーに『きのこ判別辞典』みたいなのも売っています。フランスでも薬局に野生きのこ持って行くと、鑑別してくれるそうです。

2011年10月21日金曜日

ちょっとした間違いで。

と標題に行く前に・・・。

いつも、朝目覚めて、(超低血圧なので)寝ぼけたままPC開いて、色々いじくっているうちにだんだん眼が覚めてくる、という毎日なのですが、今日もそれをベッドのなかでやってて、たまたまブログの設定にいったら、「スパムコメント」のリストなるものが出てきた。

勝手にフィルターがかかっていることも存じ上げませんでした。しかも、そこに引っかかっていたコメント8つ、どれもスパムではなかった!!! すごく昔のポストにいただいたコメントばかりだったけれど、感動のコメントに、寝ぼけながら、いまさらウルウルしたりして・・・(照)。

コメント書いたのに、なぜか掲載されなかった皆様(言っちゃうと、MIWくん、なまはげさん、しゃかとちゃん、hanaeちゃん、ayalaughちゃんでした。。。) 大変失礼いたしました。。。今度からはこちらもちゃんとチェックいたします(っていうか、スパムフィルター、いらないんだけど・・・)。

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さて、標題。

ハプニングが絶えない今日この頃。今週はこんなことがありました。

私がしこしこデータを分析して(ま、たいした分析じゃないんだけど)作ったファイルを、某パートナー(某有名大学です、日本じゃないです)が勝手にあたかも自分たちの功績のようにウェブサイトに掲載していた。それも、私的には、まだ完成してないし、公にするクリアランスも取れていないから、公になっては困るデータ。

もう一回データと数式を全部チェックして、図表も改善しようと思ってたんだって・・・。今、出されちゃ困るのよ、とほほ。

掲載されているエクセル表のプロパティーに行くと、ちゃんと作成者が私の名前になっている。それはだめでしょ。彼らは某財団から同じ目的のために巨額のファンドをもらっているので(今回初めて知ったよ)、私としては、むしろ彼らには彼らなりのデータ分析をしてもらって、私のデータと比較して、よりよいものを作る、ということをして欲しかったのに、ちょっとがっかり。

地域事務所の担当者以外とは決してシェアしなかったファイルなので、彼らがどこでそのファイルを入手したかすらも謎なのですが、犯人探しには興味なし。ただ、掲載前に許可さえとってくれればよかったのに。クリアランスが終わるまで待ってもらえば問題なかったし、もしかしたら掲載できる形でデータを提供できたかもしれないのにな。ちょっとした間違いで、そのプロジェクトの担当者(相当名の知れた研究者の方なのです)の研究者人生が大きく狂う可能性がでてきてしまいました。個人の問題ではなく、機関と機関の今後の提携に関わる大事に発展しつつあるので・・・。ちょっと、ここまでいっちゃうと、可愛そうだな・・・。

自分も、ますますデータの扱い、他人とのコミュニケーションに気を使おう、と大変良い教訓になりました。これからはデータにはちゃんとロックかけます。自分のため、というよりも、誰かの人生をこんなことで狂わせないために・・・。

2011年10月15日土曜日

チームワーク。

あらっ、気づいたら、9月は一度も日記を更新しませんでした。生きてます。

更新する時間がなかった、というよりは、次から次へと色んなことが起きて、ゆっくり文章にして振り返る心の余裕がなかった、というのが実態であります。

前半。チームが再編成され、これまでのボスの仕事(疾患別の戦略を作るようなテクニカルな仕事)に加え、新しいボスの仕事(国家プログラムがちゃんと回っていくようなシステムを構築・改善するオペレーショナルな仕事)もすることになりました。

でも、突然のチーム変え、その裏にある部内政治、等等により、なんかチーム全体、というよりもシニアスタッフたちの間がぎすぎすしていて。自分は直接的には関わっていなかったんだけれど、それでも、周りの部内政治に巻き込まれそうになっては、「傍観者、私は私の仕事をやるのみ」というスタンスを守ろうと努力して、疲れた!大人たちよ、部下が仕事に専念できる環境を作っておくれよ!

そして、ストレスを解消すべく、週末ごとに山に繰り出していたという・・・。

Lac de Charvin, Annecy, France





Lac blanc, Chamonix



右のギザギザの山がグランドジョラス。




Mont Mussy & Mont Mourex, France
 
この日は山じゃなくて、平坦な森を20キロ以上歩きました。

このかぼちゃ、一個一個に値段がついてた。勝手にお金を置いて、持っていってよいシステムらしい。







一時は、「もうこんな職場、やめてやる~」って思ったことすらあったけれど、ある時思った。

自分とは仕事のやり方の違う人、口ばっかりの人、気分屋で意味もなく人に当たる人、そんな人たちって、どこに行ってもいるんじゃないかな。よく言うよね、どこの組織も構成員の8割は、怠け者。で、残りの2割が必死に働いて成果を出している、って。きっと、ここを逃げ出して他に行っても、一緒だろうと。

で、思ったのです。私たちは、大波、小波が次々とやってくる大海を小さな小船で渡っているんだ、と。

どんぶらこ~。どんぶらこ~。

チーム6人。口だけの人もいる。頭でっかちな人もいる。四角定規な人もいる。みんな、悪気はない。自分のキャラをうまくつかって、この6人を上手にまとめて、沈没せず、痴話げんかが出ないようにして、みんなで向こう岸に渡っていけるようにするのが、私の今のチャレンジなんではなかろうか、と思った。

重要なことは、みんなが同じ向こう岸(目的地)を見ていること。

同じ目的地を目指して、それぞれが役割分担をして、お互いを助け合って、口が上手い人は口を上手く使って、分析が得意な人は、そうじゃない人の分まで分析を手伝って、細かい仕事が得意な人はみんなの分まで緻密な作業を担って、向こう岸に着こうじゃないか。

新しいチームに移ったのをチャンスと捉えて、もうちょっと頑張ってみようと思った。

投げ出すことはいつでもできる。ただ、投げ出す前に、この機会を1つチャレンジを乗り越えるいいチャンスと捉えて、やってみようと思った。

松下幸之助曰く
「この世に起こることは全て必然で必要、そしてベストのタイミングで起こる」

そして後半。新しいボスの性格をまだ見極め中。前のボスは、アイデアを出せば、何でも「わんだふぉー!」って聞いてくれたけれど、あまりにも簡単にOKが出るので、ちょっと物足りなかった・・・Oo。。( ̄¬ ̄*)

今度のボスはとても頭の切れる人だけれど、基本的に否定的で、石橋をものすごくたたく人っていうイメージ。

Only the things that are very simple can work. Something complicated never work.

と彼が言っていたので、企画を出すにも、ここ数週間は、とにかくデータを分析して、頭を練って、煮詰めて煮詰めて、イメージをできるだけシンプルにして、「これならシンプルだから、動く!」と視覚化して提案する、の繰り返し。今のところ、

"hum… interesting. Please continue."

と言われているので、それを続けています。ただし、私はすぐに裏を読もうとしてしまう人間なので、彼が本心で言っているのかどうか、をまだ見極め中・・・。

とりあえず、新チームがチームとして動き出し、手探りながらも

○ みんなが同じ目的地を見つけて、一丸となっている
○ チームメンバー各自が、それぞれの強みと弱みを認め、強みを生かしあえる
○ とにかく情報共有しあえる
○ そして、最終的にチームとして求められた以上のアウトカムを出せる

チーム作りのために、そして、自分としてもこのチームでこれこれのアウトカムを出した、と言えるものを出せるように、しばらく試行錯誤してみたいと思います。

2011年8月30日火曜日

今日の心温まったフランス人的哲学。

うちの部局は、大まかに言うと、2つのチームに分かれています。今日はちょっとした仕事で、自分のチームとは別のチームにお邪魔していました。すると、そのチームの一番偉い人(コーディネーターと呼ばれる)が通りかかり、私がいるのを珍しがってか、遊びにきました。

ちなみに彼はフランス人。仕事ができ、将来のVisionを持ってチームをうまくリードして、どんどんドナーからお金も取ってくる。

一緒に作業していた同僚が

「Jean(コーディネーター)、僕、この夏はまだ夏休みを取ってないから、9月にちょっと取りたいと思うんだけど、いいかな。。。」

って伺いを立てました。

私 「え?夏休みとってないの?!」(そもそも、こちらの文化で夏休みを取らないっていうのは、ありえない。普通にみんな1ヶ月もいなくなる。日本人だと、なかなかそれができないんだけど。ただし、この同僚はブラジル人)。

すると、コーディネータ-が素敵なことを言った(なぜか私に向けて)。

「アヤ、家族も遊びもなく、毎日夜遅くまで仕事して、土曜も日曜も仕事しているとね、人間っていうのは

『自分が世界中の人々を助けている』、

『自分が世界を変えている』、

『自分がいなければ、世の中は回らない。何も動かない。』

って勘違いをし始めるんだ。それは、とっても危険なことなんだ。だって、1人の人間が世界を変えることなんてできないんだから。おまえだけが重要だと思ったら、大間違いなんだ。

外を見てみなよ。世界には、面白いこと、美しいことが溢れてる。だから、仕事ばっかりしないで、家族と一緒に過ごして、人生を楽しみながら、仕事をしなくちゃいけないよ。」



全然仕事しない人、怠けてばかりの人が言ったら、「おまえ、もっと責任もって仕事せーや ( ̄ヘ ̄;)」って突っ込んでしまうところですが(苦笑)、仕事をしっかりして、成果もどんどんだしている彼が言うのを聞いて、なんだか、心がすーっと晴れていきました。

ほんとだ、そうかもしれない。

いいこと聞いた。でも、この言葉、Likezoの死があったからこそ、彼の口から出てきたんだろうな。


2011年8月26日金曜日

頑張らない。

日曜日の夜にジュネーブに戻り、今週月曜からオフィスに復帰しています。

今回の日本滞在は2週間心から満喫しました。暑くてお腹はあんまり減らなかったけれど、とにかく2週間仕事はほとんどせず、テレビを見たり、山を歩いたり、買い物したり、だらだらしたり、友達とおしゃべりしたり、本読んだり、通院したり(笑)。仕事脳を完全に休ませることができたと思います。行く前と後では気分が全然違うもの。

正直、ジュネーブには全然戻りたくなく(ホリデー前の数ヶ月の仕事地獄の悪夢が・・・)、高校時代から私を知る友人に「そんなこと言うの、これまでで初めてだね。いつもは、海外のほうがいい!っていう人なのに」と言われるくらいでした。ほんと、そうかもね。今回は日本の素晴らしさ、再発見しまくりでした。

だって、お店の接客でいらっとすることが一度もない!どころか、むしろ「いえいえ、そこまでしていただいて、すみません」とこっちが恐縮する親切さ!

ある朝、アマゾンで本を注文したら、その午後に着いた。そんな国、日本だけだよ!

みんなが「すみません」とやたら謝っている!電車の車掌さんも、レストランの店員さんもみんなみんな!「例え自分が間違ってても、それを認めるな」文化に生活する人間には大変新鮮で、日本って本当に素晴らしいと思いました。

ときに「日本人は謝りすぎなんだよ」ってネガティブに見る人が結構いますが、いいじゃない。自分がそれをよしとしていて、なおかつ、こちらも、相手にけんか腰で来られるよりもずっと良い気分で、むしろ「こっちもすみません」って謝って、問題解決しちゃったりして、最高じゃん?

日本、変だけど、素晴らしいよね。みんなで大切にしたい、天然記念物的国民性だと思います。

実は今回、日本滞在中に、眼の玉に金属片突き刺さり事件以上にショッキングで、私の人生を変えるかもしれない出来事がありました。

大変近しく、職場で最も尊敬して止まなかった大好きな同僚が・・・過労死しました。
彼女は、アフリカ事務所でNTD対策を1人で切り盛りしている、と言っても過言ではない存在で、とにかく1人で一身に全てを背負っていました。ザンビア人なんだけど、イギリスで博士号まで取得して、とても頭が切れるだけでなく、ユーモアにあふれ、各国保健省の政府への敬意を常に忘れず、いつも謙虚で。

要請を受けて、私が地域事務所のサポートを初めて以来、気性が合ったのか、とても仲良くなって。とにかく、その仕事ぶりと人柄に私はとても惹かれ、「次に上司を選べるとしたら、絶対にこの人だ」と信じて疑わず、彼女からも「aYaが来てくれて、どれだけ私が助かっているか。ぜひうちの事務所に出向して、わたしの仕事を手伝って。このままでは私の身が持たないよ。もっても、あと4,5年かな。こんな生活、それ以上は続けられないわよ」と何度も言われていて、いつか必ず実現させようと思っていた。思い立ったら、すぐに実行させないとだめだ。

出張で一緒になっては、おうちに呼んでもらったり、息子くんに観光に連れて行ってもらったり、ホテルのバーで2人で飲んだり。毎日メールのやり取りはかかさず、まるで隣のオフィスにいるかのように、ほぼ毎日電話でもやりあって、一緒に仕事してた。とても暖かい人で、かつ信念をもって仕事をしている人だった。

彼女は子供のように笑う人で、彼女の笑いのつぼを押さえてからは、わたしは、彼女を冗談で笑わせるのが日課になっていたし、それが大好きだった。

いつもは21時に寝て、朝5時に起きる、みたいな生活をしている人なんだけど、出張で私が23時に到着、なんてときも必ず私がホテルの部屋に到着するまで起きて見届けて、「aYaになにかあったら、私の責任!」って本当に可愛がってもらった。

彼女が突然あの世に立つ数日前(それは、私が日本に発つ数日前でもある)にも電話で、ホリデー中の仕事の割り振りを確認したところ。

それが、私が日本に発った朝、彼女は眼を覚まさなかったらしい。

おじいちゃんの初盆で日本に戻っていたのに、初盆の朝にそのニュースをメールで読んで(ジュネーブから電話もあったし)、ショックで、おじいちゃんのことは頭から吹っ飛んだ。初盆の間も彼女のことばかり考えてしまった。

わたしが、本部の意向を振り切って、地域事務所へ行って彼女を少しでも早く助けてあげていたら。

1ヶ月前に彼女がジュネーブに出張で来たときに、頭が痛い、というから、クリニックに連れて行ったのも私だった。あのとき、頭痛、で済ませずにちゃんとチェックを受けていたら(ちなみに、そのとき彼女は、初めて旦那さんを連れてきていたので「ハネムーンだね、ひゅーひゅー」ってからかった。それが最後の夫婦旅行になるなんて、許せん)。
後悔、後悔。その後、2週間は仕事をする気に全くならず。

オフィスに戻ってみたら、なんとなくチームの様子が変わってた。死んだら仕方ない。明日はわが身、ってみんなが気づいたみたい。いつも猛烈に仕事をふってくる先輩も、スローダウンしてる。いつ何があってもいいように、って、オフィスのファイル整理もしてた。普段は「頑張って」が合言葉なのに、昨日は「先生、頑張りすぎたら、だめです」って言ってしまった。すごい変化。

そんな私も、生きかた、仕事の仕方、選び方、色々考えさせられた。

もうちょっと頑張らないで生きようと思いました。死んだら、まじでしょうがない。死んだら、全てが終りです。死んだら、残された人はどうやって穴埋めしたらいいのか。彼女には、精神障害のある娘さんもいる。年老いたお母さんもいる。誰が面倒みるのか。

実は日本に帰ったとき、私より6歳年下にも関わらず、数年前に過労で脳梗塞を起こした友人と飲んだ。人間、まじで何があるか分からんぜよ。みくびっちゃいかん。頭痛を軽視しちゃいかん。

そんなわけで、今週は今のところ、毎日19時には家に戻るようにし、さらに時差をフル活用して、21時就寝、5時起床の健康生活を送っています(まだ4日目だけど)。ずっと続けたいけど、既に金曜夜にご飯に呼ばれているから、そこまでかな。

Likezo、忘れないよ。You are my hero, forever.

2011年8月16日火曜日

日本で一休み。のはずが、目の玉が・・・。

今年4月に亡くなった祖父の初盆に参席するために、2週間お休みをとって、ナムと日本に帰って来ています。

木曜日にジュネーブを発ち、金曜日の朝に東京に到着。実家でシャワーを浴びて、弟も一緒にラーメン食べて、その夜の夜行バスで、両親の故郷である鳥取へ。翌朝6時に鳥取に着くと、そのまま両親の泊まっているホテルへ行き(親戚がたくさん来ていたため、我らは今回ホテル滞在)、500円の朝食ブッフェ温泉付き(すごいぜ、安いぜ、にっぽん!)、を堪能し、父の実家で初盆に参加。

その午後には、叔父が最近建てた別荘に遊びに行き、翌日は母方の実家でに墓参りして、従兄弟の赤ちゃんと会ったり。翌々日は再び父方の墓参り。そして、東京へ。

今回は、なにせ、昨今お疲れでストレスが溜まりに溜まっているわたくしなので、とにかく休みたい!という大目的を達成すべく、早々と両親の住む那須に行ってダラダラする予定だったのですが、アクシデントが発生しました。

東京に戻った翌日。突然左目がすごい充血。目の奥にずきんと痛みもあり。

翌朝もまだ痛いので、目の中を鏡で見てみると、なんか黒目のはじっこに小さなコブができてる・・・・。

急いで大きな病院へ行きました。そしたら先生、

「あらぁ、金属片が刺さってますね。」

・・・え?

「これは、救急車で来てもらわないと。このままにしておくと、金属片が少しずつ中に入っていって、するともう取れなくなっちゃうの。で、錆びると失明することもあるから。」

・・・え?

ちなみに、いつ、どこで、なにが刺さったのか、全く覚えはございません。

これにより通院が始まりまして。しかも、目が痛いため、あまり動けない。

さらに結局その先生では金属片が取りきれず、別のお医者を紹介してもらうことに。

「マイクロドリルっていうのを持っている先生がいて、そのドリルだと、だいぶ深くまで掘ることができるから、紹介しますね。」

・・・ドリル・・・掘る・・・目ん玉ですがね。こわ。

で、結局昨日、目ん玉をドリルで掘ってもらい、無事金属片は除去されました。よかった。

ちなみに、麻酔(目薬風の)が効いていたので、痛みはゼロでした。全部見えてるので、ものすごい怖くって、歯ががくがくしていましたが、5分で終わりましたし。

今から考えると、こんなにももろい「目の玉」が体の外に無防備に出ている、という事実が怖いので、急遽ユニクロで伊達メガネを購入し、外敵からシャットアウトしております。

結局那須には、ドリルの後に眼帯したまま電車でやってきました。ただいま、ドリルで空いた目ん玉の穴ぼこを自然修復中。こわ。

それにしても、あんなドリルを開発して、目の玉はここまで掘っても失明しない、ということを研究し、証明した人がいることがすごい。世の中、確実に発展していると思われます。

そして、刺さったのが黒目の端っこで本当によかった。真ん中だったら、私はいま、左目失明しています。眼帯して1日片目生活してみましたが、遠近感を失って、切符を買うボタンは一撃で押せないし、看護婦さんが出してくれたレシート類を掴めずに、つっついて床にぶちまけてしまうし、疲れて本を読む気にもパソコン開く気にもならないし、大変困難な生活でした。

目、大切にしましょうね。

ローマ徒然。

おかげさまでミラノで厄が落ちたらしく、ローマでは無事ホテルはちゃんとホテルでしたし、蚊の大群による襲撃もなく、平穏無事な2日間の旅を送ることができました。

それにしても、マラリア蔓延国に行くときには蚊避けスプレーと蚊帳持参で万全の対策を期しているのですが、まさかイタリアでも要スプレーだったとは・・・不覚でありました。眠れない夜にベッドの上で、

「たとえマラリアやフィラリアに感染しなくても、虫刺されの痒みと、ぶんぶんいう羽音で一晩中眠れないことによる健康被害は精神的ストレスも含めて多大だし、翌日の生産性も下がるし、これが一生続くと寿命も下がるかもしれないし、蚊対策についてもっと真剣にやらなきゃいかん、むにゃむにゃ」

とか考えて、余計眠れませんでした。まじで深刻な問題ですよ、ミラノ市政府、お願いしますよ(ミラノ在住経験のある同僚によれば、「いつも、蚊が増え出す前に町中のスプレー散布が予定されてるんだけど、毎年遅ては蚊が大量発生してるんだよね」って、あんたら、途上国かい)。


それにしても、ローマというのは、町じゅうがまるで博物館。


トレビの泉。古代ローマ時代に皇帝が作らせた水道施設の終端。大きすぎて全容を写真に収めることができないくらいの迫力に感動しました。この周りに中国・韓国の方々を中心とする大量の観光客がありんこのように群がっていました。



映画『ローマの休日』でおなじみのスペイン階段。ここにも大量のアジア系観光客がありんこのように群がっていました。とりあえず、猛暑の中、オードリー・ヘプバーンをまねてジェラートを食べておきました。



コロッセオ。ローマ帝政期に皇帝が作らせた円形闘技場。これが街中にどかんとあります。この中で、Gladiatorの世界が繰り広げられていたわけです(下の写真の真ん中が戦いの場だった)。ここで、たくさんの奴隷たちが殺し合いをして、それを人間が鑑賞してた・・・いつの世も人間は残酷な生き物であるよ。





パンテオン。初代ローマ皇帝の側近によって作られた神殿。
これも大きすぎて写真に全容を収めることは出来なかったのですが、一番重要な内部をナム撮影のビデオから。
大理石の綺麗なドームになっているんだけど、技術もまだ発達していなかったであろう時代に、どうやってこんなに精巧に石をつなぎ合わせてドームを作れたのか。さらに驚くべきは、ドームの頂点に空いた丸い穴から日光が入って、内部を美しく照らし出すんだけれど、時間や季節によって、照らし出される場所が刻一刻と移り変わり、しかも最近の研究により、ちょうど毎年王様が特別な儀式でパンテオンに現れる時間にちょうど入り口を日光のスポットライトが照らし出す様に計画して設計されているのではないか、と言われているのです(先日BBCで言ってた)。そんなん、ありえます?感動で言葉を失うとはこのことです。




サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の『真実の口』に手を差し込んで、わたくしが正直者であることが証明されたところ(到着したら、既に閉まっていたので、外から対処した)。



バチカン公国の前に、たたずむわたし。



古代ローマの錚々たる建築物を見て思うことは・・・

建築技術も設備も運搬技術も資金も限られたその時代に、人材を最大の資材として、何百トンもするであろう巨大な石を遥々何百キロも運んで、これだけ緻密に設計され建築物を作ってしまう一方で、お金も技術も豊富にありながら、いまだに制圧できない病気が世の中にはたくさんあるこの皮肉。例えば、衛生設備、つまりトイレと水道設備がしっかり整えばなくなる病気はたくさんあるのに、それができない国がまだまだたくさんある。結局、人間を動かす最大の力は、自己顕示欲なんだね。

でも、それで人が動いてくれるなら、それを利用したらいい。

なんてこと。

でも、こんなに見所満載な街が国の至る所にあるイタリアって、すごいよね。まだまだ、フィレンツェもあるし、ベネチアもあるし、シシリー島もあるし、ボローニャもピサも・・・交通ルールも政治もグチャグチャに見えるけど、なんだかすごいぞ、イタリア。また来ます。

2011年8月11日木曜日

ミラノ珍道中。

またまたご無沙汰しております。

「この山を越えたら、来週はちょっとゆっくりできるぞ~」と自分に言い聞かせて山を越えては、翌週には次の山が現れる、の繰り返しで、しかも、同時にいくつものプロジェクトが進行して、忙殺されまくった6月。

そして勝手に「7月はいろんな人が夏休みをとり始めるから、ちょっと暇になるに違いない」と勘違いして、夜の集中フランス語講座などに登録して、ますます墓穴をほった7月。

終いには、疲れすぎて食欲なし子で、夕飯にアイスクリームなんか食べちゃって(むかし、母が、食欲がなくて何にも食べれないときは、アイスクリーム食べなさい、と言ったとか、言ってないとか)。

そして今、実は夏休みをとって日本に帰ってきているのですが、さきに、先々週のアホ話を。。。

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ストレスが溜まりに溜まって、これはいかん!というタイミングに、3連休があったので、急遽休日前の急遽木曜にミラノ行き特急電車のチケットを予約し、金曜の午後休をとって、電車に飛び乗り、イタリアへ逃避行しました。

ナムはチューリッヒから別の径路・国境を通ってミラノに到達するため、待ち合わせはミラノのドーモ(巨大な教会)の前に夜19時。こういうとロマンチックなようですが!その前日までいつものごとく喧嘩しながら旅程を決めてましたから、全然そんなんじゃないんです。。。( ̄-  ̄ )

さて、私の到着が17時半で、ナムは到着18時50分なので、仕方なく2時間1人でぷらぷらしてよう、と思っていたら(ちなみに私は1人でぷらぷらするのが、そもそも好きではない)、途中で携帯にナムからメッセージが。

「電車に乗り遅れたので、到着は21時になります・・・。ごめん・・・。」

「えっ?(怒)」

がっびーん。ミラノといえば、ショッピング。なんでしょうが、私はあまり買い物は好きではなく、しかも、翌週末には日本に一時帰国しようというわたし。買い物欲ゼロ。なおかつ、既に疲れきっているので、これから1人で4時間歩き回るかと思うと、がっくし。案の定、途中で疲れて、公園のベンチに座って、持ってきた仕事してました(だめ子)。

そして、やっとのやっとナムが到着(21時半)。こちらは既に足が棒。

ナムはミラノ2回目なんだけれど(前回は私の友人とサッカーの試合見に来てる)、そのときに「ニューズウェークに載った有名なパスタ屋さんがあって、そこのリングイニは絶品である」と別の友人Mさんから聞いていて、実際に食べたらまさに絶品だったというので、

「どうしても私もそこに行きたい!」

ということで、ナムの記憶を辿って歩く、歩く。でも、「たしか、こっち」という言葉を信じて歩けど歩けど、店がない。わたしは既に両足裏に豆。疲労困憊して、喧嘩しながら歩いた末に見つけた、電気の消えた店を指してナム

「あ、たぶん、あの店・・・。閉まってるね・・・。」

「。。。(怒)」

もう仕方ないので、念のために同僚に聞いておいた、ドーモからタクシーで5分行ったところにあるお勧めレストラン地帯、へ行くことに。しかし、夜道に空車タクシーが全然見つからず。「せめてドーモに戻ろう」とまたぶーぶー言いながら歩いて歩いて歩いて・・・・すると突然ナムが

「あ!あの店だ!あの店に違いない!Pizzeriaって書いてあるもん!」

「・・・いや、Pizzeriaってピザ屋って意味だから、どこのレストランにも書いてあるんだけど ・・・( ̄  ̄;) 」

「いや、絶対あの店だ!」

何せもう疲労困憊なので、半信半疑のまま、ナムについてお店に入ることに。そしてメニューを広げると、友人お勧めだった魚介のリングイニがそこに!オーダーしてみると、友人の描写そのまま!(お皿丸ごとがすっぽりパン生地で蓋されていて、そのままオーブンで焼かれて出てくる。パンの蓋をあけると魚介がいっぱい) もちろん味は超!!!!美味でした。

あまりに美味しくて、その後レストランというレストランでほぼ毎回リングイニを注文していた私でした(途中で2回ほど浮気して別のもの頼んだけれど、「やっぱリングイニだね♪」という結論に戻る単純夫婦)。

さて、アホ話はまだ続きます。

無事美味しい夕飯を食べて、次に目指すはホテル。ちなみに、事前に申しておくと、いつも旅行のときは、私がだいたいホテルもチケットも予約するんですが(ナムに任せて気に入らないのを予約されるのが嫌)、今回はあまりに忙しかったので「たまにはナムが全部手配してよ~」とお願いして、ナムが慣れないままにホテルを予約しといてくれのたでした(事前情報)。

で、着くと、それはホテルではなく、ユースでもなく、若者たちがたくさん部屋をシェアしているフラットで、その一部屋を恐らくホリデーに行ってる間貸してくれるというものらしい。よって、

-台所も共有(しかも、水もグラスも全然ない)
-シャワー・風呂も共有(大量のシャンプー類が乱雑されていて、洗濯物がたくさん乾してある)
-部屋のドアはちゃんと閉まらず(しかも台所に面しているので、やたら人が通る)
-部屋の鍵もなく
-部屋にあるのはベッドだけ

極めつけは・・・蒸し暑いので窓を開けて寝るんだけれど、すると超大量の蚊が!もちろん窓には網戸なし。結局その晩は蚊との戦いで、睡眠ゼロ。全身100個くらい刺され(うち6,7個は顔。蚊がぶんぶん煩いので、シーツに包まって寝て、息するために顔のところに穴空けてたら、そこを直撃されていた  ̄-  ̄ ))、撃沈。

朝5時に「もうだめ!こんなところにいる意味ない!ローマ行こう、ローマ。」ということになって、そのままローマに向かったのでした。

・・・ミラノ、見てないやん。

見たの、これだけ~(ドーモ)。



ミラノ旅行記でした。

2011年5月30日月曜日

勝負(いろいろな意味で。)

こんなん書いてる場合じゃないんですが・・・、こういうときに限って、現実逃避しちゃうYO。

今週、来週と4つ試験があって(ただいま、遠隔教育で2つ目の修士号取得中・・・涙)、ず~~~~っと勉強をさぼっていたダメ子さんは、1夜漬け、とは言わないけれど1ヶ月漬け中なのであります(偉い子は1年間こつこつ勉強しておくはず)。にも関わらず、こんな時に限って仕事は山のように溢れ続け、今週末なんか、勝手にバドミントンのトーナメントに申し込まれ、勝負の時なのであります(泣)。

でも仕方ないので、バドミントン、行ってきました、ジュネーブ・インターナショナル・トーナメント(棄権すると、罰金とられる・・・)。
私はもちろん、アマチュア・ランセンス無しの部。試合、となると、元来負けず嫌い故、やっぱり本気でやらない訳にはいかん、というわけで、前夜も試合直前の朝も、グーグルで「バドミントン 混合(と女子)ミックス 戦略」って検索しては、重要な戦略ポイントをメモメモして頭に叩き込み、Youtubeでプロの試合をじっくり見て、「ふむふむ、プロはこう動くわけね」と頭に動きを叩き込み。。

さらに試合の間は、毎回数時間の空きがあるので、体育館の横の公園の芝生に敷物敷いて、或いは体育館の隅っこに隠れて試験勉強して、また試合して、の繰り返し。ひょ~。

その結果、初めて混合ミックスで優勝したよっ。やた、やた。
思わずパートナー(同じ機関にお勤めのシニア)と抱き合っちゃったよ~。前回は2位で悔し涙を流したんだもの。
ライセンス無しの部だから、所詮アマチュアのアマチュアなんだけど(上手な人はみなさん、ライセンス持ってる)、俄然、バドミントン熱もモチベーションもますますあがり、コーチつけて、ライセンス取っちゃうか?と画策中。どんだけ本気でやるのか、わしら。

ちなみに今回の賞品は、メダルとYONEXタオルでした(しょぼい。前回はバド用Tシャツ&スカートだったの。サイズがでかくて、人にあげちゃったけど)。

ここんとこ、運動も忙しさにかまけてさぼり気味だったのですが、打ちまくって、走りまくって、ストレスもばっちり解消されたぜよ。結果的に参加してよかったです。やっぱり、どんなに忙しくても、運動は必須だね。

あとちょっと、試験勉強もがんばるろー。終りは必ず来るのだー。部屋がすごいことになってるけど、試験終わるまで目をつむろ~(ちがう)。

2011年5月15日日曜日

マラウィとジンバブエ。

マラウィーからジンバブエへ移動してきました(出張です)。

マラウィーを訪れるのは初めてだったのですが、空港からホテルまでの風景は、まるでナショナルパークの中を走り抜けているよう。街中も緑あふれ、高層ビルなどないし、車もあんまり走ってないし(最近のアフリカ諸国の大都市は、渋滞がえらいこっちゃなので。)、延々と広がる緑と遥か彼方に見える山々に心癒されました。最近わたくしは疲れているようで(歳をとったとも言う)、時間があれば、できる限り自然回帰したい傾向がありまして、「あ~、天国だ」と思ってしまいました(実際に、マラウィー人の同僚が「あや、きみはパラダイスに行くんだね」と行って見送ってくれたのでした)。

Lilongwe空港から町までの風景。さすがに町には建物ありますが、20時頃出かけたら(1人じゃないよ)、人っ子一人いないし、車もゼロで、街灯もほとんど無くて、星がいっぱい見えました。



一方のハラレの風景。大きな違い。どこのヨーロッパの都市に来たかと思ったよ。



マラウィーがイギリスから独立したのは1964年。それ以来一党制支配が30年以上続いたマラウィーでは、国民が徹底的に抑圧されて、女性はズボンもミニスカートも禁止だわ、男性は長髪禁止だわ、テレビも所有できないわ・・・で、いつしか世界の最貧国の1つに転落してしまったと。一方のハラレは1980年まで長々と、ローデシア(白人が実質支配していたザンビア+ジンバブエ)の首都Salisburyとして発展し続けたというわけらしい。早くに独立できたほうが良かったのか悪かったのか。

でも、そんなLilongweでも、ご飯は美味しいし(米とティラピアの組み合わせ。もう言うことありません。)、いまやなんと水道水が飲めちゃうし。某統計データによれば、都市部のTreatment water coverageは95%以上!(世銀が90年代後半に上水処理場建設に投資している模様) そんな「途上国」ありますか?下痢ぴーぴーで仕事にならないとまずいので、迷った末(迷うな)チャレンジしませんでしたが、まぁ実際には、シャワーの水から塩素臭がかすかにする気がしたので、やっぱり飲まなくて正解だったかもね。。。( ̄▽ ̄;) でも人々もほがらかで、同僚ケニア人が「夢の国だわ。もうナイロビの生活に疲れたから、あたしはここ移住するわ。仕事さがそ。」と言ってました。



ところで、ジュネーブからここまで、大変な長旅でした。アディスアベベで乗り継ぎだったのですが、アディスからLilongweまでのフライトには、アフリカ人もおれば、インド人も中国人も大量にいるし、もちろん白人もいるし、イエメンから来た、という青年たちもいました。「いま、イエメンの状況はどうなの?テレビじゃ紛争で大変そうだけど」と言ったら、「え?テレビを信じちゃいけないよ。僕はSana’aからカイロまで普通に旅してきたけれど、まったく紛争なんかなくて、平和そのものだったよ。テレビで映しているのは、ほんの一部だよ。」と言っていました。人懐っこくて可愛らしい青年たちでした。

中国人たちは一切英語が話せず(だから、フライトアテンダントとコミュニケーション取れない)、99%男性なのですが、年齢もそれほど若くない。40代以上でしょうか。家族から離れ離れで、未知の遠い遠い果て、マラウィーまで送られて、きっともらえるお給料も微々たるもので(現地人を雇わずに中国人を大量に送ってきたほうが安い、というあたり、いかほどかと。。。ま、中国人を使うのは賃金だけの問題ではないんでしょうが)。まさにChinese soldiers。人権って。。。複雑な気持ちで彼らを見守ってしまったよ。

とにかく、いまやアフリカどこに行っても、中国人が大量におります。建設中の道路やら空港やらホテルやら、ほとんどは中国企業によって建設されていると言っても過言ではありません。Lilongweでも、中国企業が、霞ヶ関(マラウィーの)のまん前に超巨大なコンフェレンスセンターと5つ星ホテルを建設中でした。これまで、アフリカ人の中で、これら中国人の評判はすこぶる悪いと思っていましたが(現地人労働者の扱いがひどいとか。時々、建設現場で暴動が起こったりしているよう。中国人をあえて送りこんでくるのは、文句言わずに働くから、という理由もあるのでしょう。それから、現地人を雇わないし、資材もなんでもかんでも中国から激安のものを運んでくるので、現地で雇用機会がそれほど増えず、お金も落とさない。現地の商売がつぶされる、などなど)、今回一緒に仕事をしているケニア人は

「いやいや、むしろ中国人がどしどし、インフラを整備してくれるから、本当に助かるわ。これで、発展の土台ができる。」

と言っていました。ちなみに彼女いわく、

「中国人は、刑務所に入れられていた囚人を労働者としてアフリカに送ってくるんだよ。その中国人たちが最近、現地のアフリカ人女性たちと子供をつくって、でも、時期がきたらその労働者たちは中国に連れ戻されちゃうから、父無し子が増えて、さらに女性たちのほうに『あなたの子供の父親は誰?』って聞いても『中国人はみんな同じ顔に見えるから、分からないわ。名前はチンチン(中国語が発音できない・・・)。』ってみんなが答えるの。新たな社会問題よー」

って爆笑してました。労働者として送られてくるのはみんな囚人、というのには私は懐疑的ですが、そもそも笑い事か。( ̄▽ ̄;) アフリカ企業、負けないで頑張ってちょうだいよ。

Lilongweからヨハネスブルクへの飛行機の中では、めずらしく中国人(風)ファミリーを見ました。家族でマラウィーに商売しに行ってるのかもな、と思ってたら、途中で中国語で話しかけられ、聞いたら、台湾人とのことでした。そういえば、オフィスのドライバーが、

「マラウィーに最初に入植してきたのは台湾人なんだけど、台湾人はいつしか去って、それから中国人が入ってきたんだ。まぁ、中国人も台湾人も同じだけどね。ははは」(台湾人が聞いたら怒るでしょう)

って言ってたので、まだ残っておられる台湾人ファミリーだったのかもね。

アフリカと中国人、今後の発展と交わり、いつも興味深く眺めています。なにせ、どこにいっても「よーチャイナ!」って話かけられるんだもの。昨日も機内で隣に座ったマラウィー人に「おっ、中国語を教えてね♪」って嬉しそうに言われたよ。

2011年5月2日月曜日

マンションだけど、家庭菜園。

約束どおり、ナム氏が我が家のベランダ(しつこいようですが、一戸建てではなくマンションです)に庭を造りました。

DIYショップでおもーい、おもーい、ブロックと土をたくさん買って。そもそも、なんでそんな大胆なことになったかと言いますと、ナムが以前から、空いた段ボール箱にビニール敷いて、自分の菜園を作っていたのですが、あまりにも見た目がきれいじゃない、と、私がアピールしたことによります。

これ、ダンボール菜園。



これ、新しい菜園。1週間前。



これ、今週末。確実に緑、増えてます。すごい成長率。



植えてあるの、9割野菜ですので、まさに家庭菜園です。予想以上に安くない投資になってしまったので、これからはどんどん野菜を作って、自給していきたいです。夢は、お友達の家にお呼ばれしたときの手土産が、チョコレートやワインじゃなくて、自家製野菜。素敵でしょう!まずは、レタス君とネギ君、頑張れよ。コリアンダーもあふれんばかりに育っています。

サボテンすら枯らすことで有名なズボラはわたくしですが、意外にも嬉しくって、ナム氏と2人して、何度も何度も『庭』を眺めています。ナムは、本当に1時間おきくらいに、窓の傍に立って、庭を眺めています。

先日は天気がよかったので、2人でこの狭いベランダにゴザを敷いて、おにぎり食べてピクニックしました。菜園を眺めながら・・・。その日は意外にも風が冷たくて、すぐに部屋の中に逃げ戻ったのですが(アホ)。

プランターも買ったので、もっと土を買って、お花も植えたいです。

ではでは。

2011年4月24日日曜日

おじいちゃん、ありがとう。

おじいちゃんが他界した。

金曜日からイースターホリデーの4日連休が始まった。今回はとくに旅行などせず、家で本読んだり、DVD見たり、勉強したりして、ゆっくり楽しもう、と決めていた。

昨日の朝、買い物に出る前に、MSNメッセージャーで弟から「聞いた?」って一言メッセージが入ってた。「なにを?」って聞いても弟はいない。
なんだろな~、と思いながら、特に気にせずに家を出て、1日中、あちこちを買い物して回った。休日のご馳走つくるために、魚を買いに行ったり、ナム氏が「庭をつくる」(ちなみに、うちはマンションです)と決めたので、ガーデニングショップへ行ったり。

夕方家に戻って、米を研ぎながら、弟からの「聞いた?」のメッセージのことをもう一度考えてた。そして、「はっ」と嫌な予感がした。急いでPCを開いた。そこには弟から、祖父が他界し、両親弟ともに鳥取に飛び、お通夜を済ませ、翌日の朝10時から葬式、納骨であると説明するメッセージがあった。

わたしとこのおじいちゃんの間には、深いつながりがあった。
私は、初孫であることもあり、誰よりも愛がってもらった。例え東京にいようが、海外にいようが、毎年鳥取に帰省しているのは、家族の中でも孫の中でも私くらいだ。私の両親がよく「おじいちゃんは、やじま あや応援団長」と言っていた。私に何かあると、じいちゃんがテレパシーを感じて、私に連絡してくることもあった。ナム氏と籍を入れることを最後の最後に父親から反対され(正確には、延期することを勧められ)、今世紀最大の大喧嘩をして、わたしが引き篭もったときには、誰よりも心配して、歳を取ってからは、どんなに誘っても鳥取から外に出ようとしなかったじいちゃんが、「いますぐに東京にいく」と出かけようとしてくれ、父親も説得してくれた。

よく父親が、わたしとじいちゃんの関係を見て「祖父母と孫っていうのは不思議なもんだ。親子とは比較にならない深い絆で結ばれてる」みたいなことを言った。本当にそうだと思った。

おじいちゃんは、数ヶ月前に家の階段から落っこちて、大怪我をした。それまで、「ここ数年、ちょっとぼけてきてる」と言われていたのが、その機会に検査をしたら、パーキンソン病であることが分かった。ぼけているのではなく、筋肉が上手く働かなかったんだ。それ以来、ちゃんと正しい薬を飲むようになって、さすがに歳が歳だから、ぴんぴんにはならないけれど、元気になったと聞いていた。私も心配で、ジュネーブからちょくちょく電話を入れていた。

ちょうど3日前に、別件で父親とメールをやり取りしていたときに、いつものように「ところで、おじいちゃんは元気にしてますか?」って聞いたら、父の返事は「鳥取の爺さんはクスリが効いて、量も増やせるようになったので元気です(パーキンソン病と気づかずボケていると言われていた頃よりはるかに元気になっているようです)。やはり色々調べて病院を変えたのが良かった。」だったので、安心してた。実際、1週間前に本人と電話で話したら、元気そうだったという。

2日前、弟とチャットしていて、私が「人生をあと10年と思って意思決定すると、本当に今やらなくちゃいけないのが何か、見えてくる(って某ブログで言ってた)」って言ったら、弟が「俺は、人生60歳まで(それ以降は第二の人生を楽しむ)、って思って考えたらさ、60歳まであと28年しかなくて、1年はあっという間だから、例えば1年に1回旅行いっても、もう28箇所にしか行けないんだよね」って言ってて。昨日の朝(今思えば、そのとき既に、おじいちゃんは他界してた)、ナム氏のその話をして「そうしたらさ、わたし、毎年1回日本帰国しても、おじいちゃんにはもう数回しか会えないね。だから、ちゃんと帰国しなくちゃ。」って話してたところ。

じいちゃんにもう会えない、顔を見られない、話ができない、という悲しみが津波のように押し寄せては引いた。これまでの人生で、おじいちゃんからたくさんの手紙をもらった。おじいちゃんがあんなに手紙を出した相手もわたしくらいだろうと思う。いや、私が唯一の文通相手だったかもしれない。でも、もうおじいちゃんから手紙を受け取ることはない。風呂でひとり泣いた。でも、普段から私とじいちゃんは離れていて、でもテレパシーで繋がっている、という安心感があるのは、じいちゃんが他界してからも変らない。むしろ、じいちゃんが、これからは鳥取じゃなくて、守護霊のように私の傍で守ってくれるんだ、そう思うことにした。This is life. Life goes on. また、敬虔な仏教徒であるおじいちゃんの影響で、私は輪廻転生を強く信じているので、次にまたおじいちゃんの魂が私の周りに生まれ変わってくる、という確信すらある。

スイスに持ってきた、おじいちゃんから譲り受けた本たち。



改めて中を覗くと、おじいちゃんの手書きのメッセージや線がびっしりで、泣けた。



でも、後悔は残った。もっと、おじいちゃんの若い頃の話、戦争の話、大学時代の話、いろいろ聞いて置けばよかった。一度くらいは那須へ連れてきてあげればよかった(そういう計画もあった)。もっとスイスの写真を送って、もっともっと手紙を書けばよかった。全ては後の祭り。

急いでチケットを取ったら、納骨に間に合うかも、と思って調べたけれど、全然間に合わなかった。急いでも、東京に到着するのが2日後、そこからさらに鳥取。なので帰国はあきらめた。納骨に間に合わないなら、むしろ、初盆にゆっくり帰ろう。海外に住む、というのはこういうことだ。緊急事態に、すぐに戻れないということを覚悟すること。どうしても1日以上のロスがでてしまう。

夜中まで待って、日本時間の朝6時半に弟の携帯に電話した。弟が説明してくれた。じいちゃんは、この3日間、おしゃべりしながら寝ちゃったりはしてたけど、特に変化はなく、昨日の夜中、寝ている間に逝っちゃったと。とても安らかに眠ってたと。本人は、自分がパーキンソン病だったことは知らない。最後まで平穏に生活して、苦しまずに逝った(らしい)、と聞いてほっとした。頼むから、そうであって。

弟に、形見をもらってきて、と頼んだ。おじいちゃんが大好きだった碁石をもらってきてやる、と言われた。「じゃ、碁石でピアスつくって、両耳につけてよっかな」2人で笑った。位牌でもいいよ、と言ったら、びびられた。おじいちゃんが所蔵している大量の書籍も、きっと誰も欲しがらないから、売るんなら私が引き取る、と言っといた。どこに所蔵するかが問題だけど。本当に大量だけど、おじいちゃんが読んできたものを、全部読みたい。

おじいちゃん、これまでありがとう。おじいちゃんのおかげで、今のわたしがあります。
おじいちゃんが傍で見ていると思って、これからますます、おじいちゃんの名に恥じぬよう、生きていきます。そして、今残っている人たちに対しては、後悔のないように生きる。それが、私の昨日の新たな決心。

2011年4月17日日曜日

Pray for Japanでハーフマラソン。

拝啓、みなさまご無沙汰しています。私は元気です。

今月は会議と発表に追われています。

我が部署は、現在17の熱帯病対策を扱っています。昨今では、諸所の対策の中でIntegrateできるところはできる限りIntegrateしよう、という動きに向かっているのですが、それでも根本的は伝播対策は、疾患(というより、原因となる寄生虫・病原体)によって異なるし、研究者も違うので、HIVエイズやらマラリアやらのように1つの部署で1つの疾患を扱っている多くの部署と違って、どうしても部局で企画するテクニカル会議の数が多くなります(っていうことに気づいてしまった今日この頃)。そんなテクニカル会議が今月は目白押し。そんでもって、私は疾患対策全てにCross-cuttingなタスクに携わっているので、結果として4つのテクニカル会議で発表するはめに 。゚(゚´Д`゚)゚。。

プレゼン作るのは嫌いじゃなく(発表するのは全然好きじゃないけど)、カオスとしてある様々な事実たちを、うまく美しい1つのストーリーに繋ぎ合わせて、聴衆の心にメッセージをびびっと響かせる、というタスクに、いつもExciteしてしまう質なので、目をしばしばさせつつ、急激に(なぜか右目だけの)視力を低下させつつ張り切った結果、プレゼンたちが思いがけず大ボスや、大大ボス(Director)に大賞賛された\(´∀`)丿。でも浮かれたのもつかの間、来週月曜の会議で発表してくるように部長命令が出た げげっ( ̄□ ̄;)!!

そんな中で、某会議をすーーーっと途中で逃げまして、週末にかけて飛行機でぴゅーっとプラハに飛びまして、参加してきました・・・プラハハーフマラソン Σ( ̄ε ̄;|||・・・。
「プレイフォージャパン」というメッセージつきの手作り日の丸をTシャツにつけて、完走しました。



実は、これは人生で2回目のハーフマラソンで、1回目(多摩川のチャリティーマラソン、数年前)は10キロ過ぎたところから、足の痛みと豆で全然走れず、ひたすら足を引きずってゴールにたどり着いた、という苦い苦い経験があったのですが、今回はちゃんと練習を重ね、数週間前に一度練習で20キロ近く走っていたこともあり、なんとか完走できました。といっても、本当に本当に辛かったけど!

普段、5キロジョギングするときは、MP3プレーヤーに、勉強を兼ねたオーディオブックを入れて聞きながら走っているのですが、今回も音楽なし、「人類と文明の進化」みたいな小難しいオーディオブックだけを入れていったら、15キロを超えると、もはや脳みそは働かず、全ては雑音にしか聞こえず、言ってること一切理解できず、大変苦しかったです。マラソンには、やっぱり音楽が良いようです。。。

それから、今回は給水所が5キロ置きにしかなく、しかし気温は24度くらいにまで上がっていたので、喉からからで死にそうでした。でも「被災地にいる人たちの苦しみはこんなんじゃないんだ。私の、喉からから、はあとちょっとで終わるんだから」と自分に言い聞かせてました。

やっとこさ給水所につくと、用意が遅くて、コップに全然まだ水が入ってなくて、まさに死にそうな人たちで奪い合いでした。人間というものは、飢餓状態になると、「譲り合い」の精神はなくなり(つまり理性働かず)、まずは自分の腹を満たす(=喉を潤す)ことが最優先となる、というのがよく分かりました。

そして最後の3キロは、冗談じゃなく、「I can do it, I can do it, I can ...」と念仏のように、アホのように、唱えていました。あ~、辛かった。でも、またやりたい。なんか、出産もこんな感じなのかな~とか想像しています。うーーー、痛い、でも、また産みたい!ってみんな言うよね・・・。

あと、途中にトイレが全然なかったので、男性人は川沿いを数メートル置きにたって、立ちしょんしてました(ずーっと川沿いを走ったの)。でも、男性人用に面白いトイレがあった。黒い蓋を開けて、そこに挿入するものを挿入して、用を足す(小のみ、もちろん)という。先輩が実践してくれましたが(苦笑)、これを街中で見るのはなんとも不思議なものでした。でも、いいアイデアかも。公衆便所のかわりに、どう?これ。



今回は、同じ機関で働く先輩たちとチームで走ったのですが(と、ナム氏も)、ロシア人の同僚から、「チェコと行ったら世界最高のビールと、豚のグリルでしょ!」と言われていたので、その教えに従いました。豚の丸焼きは本当に有名なようで、街中にもこんなん。漫画に出てくる原始人が骨を手で持ってかぶりついてる、みたいな肉を食べるのが、子供のときの夢でしたが、これがプラハで実現するとは夢にも思っていませんでした。



実際に食べたのはこれ。



マラソンの翌日、筋肉痛と疲労でロボットのように歩きながら(ナムは両足の大きな豆をかばいつつ・・・)、一応観光もしたのですが、これがまた辛かった・・・・。なぜなら、アホな私たちは、ホテルをチェックアウトしたあと、スーツケースを抱えて観光に出かけたのですが(泊まってたのがホテルじゃなくて、サービスアパートメントだったので、荷物を預けるレセプションがなかった)、プラハの観光地帯は9割石畳かつひたすら坂道なので、スーツケースゴロゴロするのが辛いこと、辛いこと。そんなんしてるのは、わしら2人だけで、みんなに見られて恥ずかしいし・・・。観光がいまいち楽しめませんでした。

プラハでは、スーツケースは預けて観光するように。しかも、できればマラソンの前に。







そうそう、プラハには、木でできた玩具がたくさんたくさん売っててね。
このカエル2兄弟。頭にバネがついてて、上からつるしたら、びよよよーんって伸びるんだけど、あ~たまらん可愛らしさ。



この鳥は、上から吊るして、おなかから垂れ下がってる紐をひっぱると、羽を優雅に羽ばたかせて飛ぶの!その優雅さがたまらんですよ。吊るす場所がないので、ナムがこれまた兄弟?夫婦?を上下に吊るしてみました。



そんなこんなで、辛くも充実感あふれるプラハの春、じゃなくて週末、を過ごすことができました。

ハーフマラソン、またやりたいです。いつかはフルにも挑戦でっきるっかな~。

2011年3月25日金曜日

できることをやる。

怒涛のような出張から戻った翌日、新たな怒涛の日々が始まった。母国の地震、津波、原発事故・・・。

日本の外にいる人間にできることは限られているかもしれないけれど、ここにいるからこそできることもある。
できることを、できる人がやる。できる人は、できない人の分までやる。日本は大丈夫。

WHO西太平洋地域事務所が毎日挙げているSituation Report(英語)を、本部の日本人スタッフの有志で毎日翻訳しています。日本語版(仮訳)は、WHO神戸センターのウェブサイトに掲載されています。

英語バージョン
http://www.wpro.who.int/media_centre/jpn_earthquake/sitrep.htm

日本語バージョン
http://www.who.or.jp/sitrepsj.html

状況が正常化して、Situation Reportのデイリーアップデートの必要がなくなる日がくることを、ただただ祈って。

2011年2月28日月曜日

ビビデバビデブー

今週は、通い夫ナムさんが大学の都合でジュネーブに戻って来れなかったのですが、1人でなかなかにRelaxingかつProductiveな週末でした。

土曜日

まず朝からレマン湖の周りを10キロジョギングしました。ちょうど1時間。というのも、あたくし、職場の先輩たちと一緒に、4月早々に行われるプラハハーフマラソンへ参加することにしてしまいましたんです!もちろんナム氏も。登録して、ホテルも航空券も取ったら、さすがに尻に火がつきました。。。昼休みと週末に練習の日々であります。

ジョギングの後は、来週の出張をより快適にするお買い物へGO。

①コーヒーフィルターつきミニケトル!


朝、部屋でどうしてもコーヒーを飲みたいので、出張にはいつもケトルは持参するのですが、スーツケースのスペース節約のため、一番小さいサイズを購入。したら、カップのみならず、コーヒーフィルターまでついてたので、旅先で美味しいコーヒーが飲めますだ。

②フォーマルに見えて(つまり、出張に履いていける)、尚且つジムでジョギングもできそうなスニーカー!


えへへ~。よく見ると、でかでかと「FOR KIDS」と書いてありますが、気にしない。子供用だろうが、サイズが合えば、ええのです。

日曜日

朝から出張の準備をしつつ、どうしても今日中に読み終わりたい疫学本をひたすら読みつつ、誕生日のオフィスメートと来週アメリカ地域事務所に異動する同僚にクッキーを焼きました。



ん~、あまり美味しそうに見えないけど、味は悪くないのよ、とほほ。

異動する同僚A氏は、「この人がいたからこそ、いまのあたしがある」そして「この人がいたからこそ、チームもなかよく、自分の居場所もできた」と言っても過言ではないほどに大切で大好きな2歳上の先輩。彼に教えてもらったことは数え切れず、毎日わたしのオフィスに来ては、横でオペラを熱唱するわ、仕事を邪魔するわ、勝手に人のお菓子を食べるわ、な人ですが、だからこそ大の仲良しになれたし、何でも相談できる貴重な存在。色々似たもの同士でもあり。彼の存在にどれだけ助けられたことか。彼が横で熱唱してくれない日々はまだ想像できないけれど、この異動は彼のキャリアのビッグステップなので、心から応援します。スカイプあるしね。じじーん。

彼とは、一生一緒に仕事をしていく気がするので、「大きくなって帰ってこいよ~」と送り出したいと思います。

最後に、友人にうけた、A氏にまつわるエピソード。

一緒にカメルーンに出張したときのこと。最終日、フライトは夜中だったんだけど、部屋は朝チェックアウトせねばならず。でも、ホテルの計らいで、「1部屋だけなら、ただで夜まで延長してくれる」とのこと。で、A氏は私の部屋に移動したのですが、出発前、A氏がシャワーを浴びている間、同じ部屋のベッドの上にPCを引っ張り込んでジュネーブの友とチャットしていたわたし。すると風呂から大声で真剣に歌うA氏の声が。

「サラガドゥーラ メチカブーラ ビビデバビデブー♪ たらら たらら たららら ビビデバビデブー♪」

シャワー出るまで熱唱してました、A氏。すごく頭良くて、歩くWikipediaと私は呼んでる人なんだけど、ちょっと変なんだよね。愛すべきA氏。そして、ビビデバビデブーは、万国共通なんだね。

ニョロニョロ会議と夢

先週水曜日は1日、今使用されている駆虫剤の効果に関するテクニカル会議だったのですが、夜、ボスに、面白い会議に連れてってもらいました。

内緒の部屋(寄生虫学者の大御所1が奥さんと2人で短期滞在していた駅前ビルの最上階のアパートの部屋)で、ベルギー産のサボテン酒(大御所1がベルギー人)を飲みながら、某ビッグドナーが、会議に参加していた、寄生虫学者の大御所2人と我がボスの3人だけに対して、

「お金があったら、『本当に本当に本当に今一番必要で、その結果(データ)が確実に○○症対策を前進させる』という研究テーマをあげて」

と、インタビューする、という会。

私と、もうひとり、大御所1の秘蔵っ子ポスドク君は、その輪の中で、まだまだ提案なんかできる立場じゃないけれど、みんなのディスカッションを聞いているだけで、わくわく、わくわく。こうやって、世界(といっても、寄生虫対策というマイナーワールドだけど)を動かしていくんだな、このひとたち。そして、これこそ研究者の醍醐味だなーと。ただ論文の数を増やすために、或いは興味本位だけで研究するんじゃなくて、本当に本当に今必要とされている事実を突き止めて、発表して、それを我々が使って、戦略を立て直していく。そうやって立て直された戦略が確実にImplementされることで、病気の伝播が止まって行く。

熱帯病対策に限らず、世界はどう動いてて、どこに向かって進んでて、世界が前進するのを防いでいる、或いは前進を遅らせている壁があるとすれば、それを打開するためには何が必要か、を考えて、それを打開するために必要な事実を研究で解明して、壁を破って、先に進める。これこそ Evidence-based policy。

って、なぜこんなに自分の中で熱弁しているかというと、会議の間でも研究者さんの中には、やたら自分のチームがやっている研究成果を山のように発表したあげく、こっちが昨年研究協力することを約束した肝心のタスクは完全に忘れ去られていて、こちらとしては「で?我々があなたたちのグループにお願いしたのは、これとこれとこれを明らかにすること。それが分からないと、○○症対策は前進できない。PCRとか Genotpyingとか今を華やぐ華麗な研究で論文数増やすのは結構だけれど、研究協力を約束している以上、その責任をちゃんと果たしてください」という人たちが若干名いて。しかも、巷では世界に名だたる某大学・・・。研究自慢は学会でやってください。ここは、特定のポリシーを決めるためのテクニカル委員会会議。

ここに連れてきてくれたボスに感謝。


ちなみに、興奮して床についたその夜、「頭にシラミが発生して、その卵がでかい上に、なぜか卵が孵化するとシラミの若虫ではなく、ニョロニョロの回虫が出てきて、おかあちゃんに「取ってくれ~」と頼んでいる(小さい頃、確かにシラミが頭に住み着いて、母上によく卵をつぶしてもらっていました)」という摩訶不思議な夢を見ました。1日中回虫のこと考えてたからかな(笑)。しかも、同僚に話したら「うえ~」って言われたけれど、本人は至って冷静だったという・・・。

2011年2月14日月曜日

井の中の蛙、大海へ。

金曜の夜からジュネーブにて、バレンタイン・バドミントン・トーナメントなるイベントが開催されまして、所属チームの仲間たちとアマチュアの部へ参加してまいりました。普段は所属機関チーム内でばかり練習してる井の中の蛙である私たち、時々大海に出てみるのは重要です。

無謀にもコーチ(兼同じ部局・チームの同僚)にのせられて(騙されて?)、女子シングル+女子ダブルス+混合ダブルス(男子と女子のミックスダブルス)の全種目に登録してしまったあたくし。あはは。

結果からいいますと、女子シングルは、体力ぜんぜん持たず。老体はもう10代、20代には勝てません。。。男子シングルなんか、優勝者は12歳くらいの男の子だったからね。。。体の軽さに見とれたよ。

女子ダブルスも残念ながら1勝2敗で破れ。いや~大海は広かった。

でも混合ダブルスは、パートナーに恵まれ、結局日曜のセミファイナルまで残り、結果アマチュアの部3位入賞。実は内心1位を狙っていましたので、くやしかったなぁ。でも今後の課題や自分のWeaknessが見えて、次のトーナメントに向けて俄然やる気です。

そんでもって、これはアマチュア部。隣のコートのランセンス保持者たちの試合は本当に美しかった。世の中、上には上がいます。モチベーション上がりました。

ちなみに3位入賞の賞金はコスメセットでした。2位はなんとYONEXの素敵なラケットバッグ。そして1位は現金200フラン!今度こそ賞金狙ったる~。





スポーツ続きで、実は先週末も、疲れる体に鞭打って、人生初のクロスカントリースキーに挑戦してきました。

ちなみに・・・わたくし、これまでの人生、一度もスキーを体験したことはありません。一緒に行ったナムももちろんのこと。

そして体験したクロスカントリースキー、これは恐ろしく体力を要するすごいスポーツでありますね・・・。アルペンスキーは、上りはリフトで、帰りをしゅーっと降りてくる楽しいスポートであると理解しているのですが、クロスカントリースキーは、スキーより細いスキー板を履いて、つるつるすべりながらも、腕の力をフルパワーに使って(うまい人はたぶん、違う)坂道を上に上に上り、下りをすーっと降りて、また上り、上り、すーっと降りて、また上り・・・の繰り返し。



結局3キロコースを3回回ったのですが、もう汗だくで、翌日は腕が筋肉痛で動かず、脱衣すらできない始末で、野菜切るのに腕が痛いので、肩を使って包丁を振り下ろしたら、指を切るという大惨事。副作用大でした。でも、基本的に苦しいスポーツが好きなので、充実感満点でした。

ただし・・・、みんなが唯一楽しんでいた下りが、普通に滑っているように見えたかもしれませんが、内心怖くて怖くて。自分でスピードをコントロールできない、という事態が(上手い人は、たぶんコントロールできる)とても苦手だ、ということに気づきました。ジェットコースターもだめだしね。自分を知る、と言うのは重要です。あ~怖かった。たぶんアルペンスキーも無理。冬はスノーシューに専念いたします(笑)。

ちなみにナムは、アイススケートとかツルツルの上でバランスを取るものが苦手なので、これも難しいかと思いきや、意外に楽しんでいて、今度はアルペンスキーにも大いなる興味を抱いていました。がんばれ。


さて、この日はとっても天気の良い日だったので、帰りにものすごいアルプスの絶景が拝めました。道行く人がみんな車を止めて見とれていました。体に鞭打った甲斐がありました。Super-refreshing!



たぶん、真ん中がモンブラン。



さて、明日はまた筋肉痛と戦います。

2011年2月6日日曜日

Trung vit Lon!

今日のおやつはTrung vit Lon.

これ、ベトナムやフィリピンでは有名な、半分孵化した鴨の卵。

勇気のある人だけ、下に進んでください(って、そんなにぐろくないよ)。











これを茹でると、赤ちゃんダックになりかけの部分ととまだ半分は卵状態の部分が一緒に茹で上がります。



これをぐちゃぐちゃにクラッシュして、ハーブと一緒に食べます。



いうなれば、鴨肉とゆで卵を一緒に食べているような感じ。結構美味しいの。

半分孵化?可愛そ~、という人が多いのですが、じゃあ親鴨を殺して食べるのは可愛そうじゃないのか?というロジックで、ナムさんのおやつにつきあっています。ちなみにここはジュネーブ。。。

2011年2月5日土曜日

木を見て森も見る。

ひょえ~、気づいたら、もう2月だよ。1月はまさに矢のごとく飛び去っていきました。ダッシュで走り続けた感じ。

今年の抱負の1つに挙げたと『Scientificな仕事をできるチャンス』がしょっぱなから到達し、ボスにはきっとできないこと(技術的に、じゃなくて、時間的に)、そして「おっ!」とボスを関心させることをやってやろうと、自分の中で企画を考えては論文やテクニカルレポート、あらゆる文献を読みまくって読みまくって、無い頭をひねって、形にしていく。1つ終わっては、ボスに見せて、次の目標を掲げて、それに向けてまた走りだす、というのの繰り返し。

1月は我が機関のLibraryに頻発し、司書さんに「またやってんの?」と苦笑されながら(自分が生まれる前の古い文献だし、寄生虫だし、笑)、担当する熱帯病の対策戦略を作り上げるに至った科学的根拠を辿って、辿って。とにかく時間が足りないから、毎朝6時に起きて(オフィスまで車で5分の所に住んでいるので、これで、朝3時間くらいの猶予ができるのです)読んで読んで、夜も家に着いたとたん、ご飯茶碗片手に読んで読んで。熱帯病の伝播対策の基本になっているのは、たいがい伝播要因を盛り込んで作られた数学モデルなんだけど、これをしっかり理解して、願わくば応用すべく、先週から数学の得意なナムさんに講義を受けながら、悪戦苦闘しています。もう、微分積分ってなんだっけ?のレベルからやり直しですよ。数独を1日中解いてるような脳の疲労感を感じつつ、今日も数学であります。



ちなみに、超低血圧なので朝起きるのは全然得意じゃないんだけれど、本当に本当に必要を感じたら、当然ながら起きれるもんだね。あと、米100ドル札のベンジャミン・フランクリンも、色々なことを成し遂げるために毎朝5時起きだった、と読んで、刺激を受けてみたり。尊敬する大大ボスも、毎朝6時にオフィスに来てるって言ってた。あっしもがんばるんです・・・。

ベンジャミン・フランクリンの生活パターン




この一連の作業で、担当する熱帯病がどれだけ古い歴史を持っているか、ここ数年を見ていると、動きがとてもスローに見えたのが、もっと長い時間軸で見てみると、科学・技術の発展の積み重ねによって、確実に前に向かっていることが分かったり、「この戦略をどうして誰も見つけないの?」って密かに疑問に思っていたことが、科学的にどうしてそれを見つけるのが難しいのかが分かったり。木を見て森も見ることの重要さを再認識しています。

昨日は部署内で今後を大きく変えることになるかもしれないミーティングがあったんだけど、頭の回転は速いし、面白いアイデアがぽんぽん出てくるので尊敬してるんだけど、典型的O型で細かく砕いて計画を立てたり、ロジカルに説明するのが苦手なボスを補完すべく、裏で頑張ったおかげで、最終的にはミーティングも上手くいって、影の動きも評価してもらえて、さらに大きなGood(?) newsも飛び込んできたりして、当分は忙殺されながらも面白い日々が続きそうです。

来週さらに重要な会議があるので、その準備にまた走り続けます。

ついでに、その間の週末おうちご飯。

ジュネーブにはラーメン屋さんはもちろん無いんだけど、どうしてもラーメンが食べたくて、中華メンを使って自分でラーメンつくってみた。これはなかなかイケマシタ。誰か、ジュネーブでラーメン屋開いてくれないかなぁ。絶対儲かるよ。



ベトナム食材屋で買った冷凍うなぎを使って、うなぎの蒲焼も作ってみた。これは、見た目はいいけど、実はオーブンで作ったら、この世のものとは思えないほど硬いうなぎ煎餅になってしまって、大失敗だったのでした。もうやらない。



仲の良いお友達を呼んで、チーズフォンデュパーティ。和風だしを使った和風フォンデュにしました。明太子入れても美味しいんだって。疲れているときには、みんなでがははと笑うのが、一番のストレス解消だす。みんな、またやりましょね~。