2010年12月1日水曜日

朝おきると・・・



昨日の午後から始まった大雪。突然始まったせいで、冬タイヤに変えていない人がほとんどで、朝は降ってなかったもんだから、帰りに車で帰れない人が多発。さらに、それでも無理やり車で帰ろうとした人も多発して、事故も多発したらしく、道路の車もバスも完全に止まって、すごい状況に。

そんなに簡単に麻痺してどうする、ジュネーブ。

私も車置いて、歩いて帰りました。「徒歩圏に住んでてよかった~。」って。

でも夜、「明日は交通手段がない人は自宅で仕事をしてもいい」ってメールが回った。こんなときは「くそー、徒歩圏だと、自宅待機する理由がない・・・泣」

ちなみに私は、去年冬タイヤに変えてから、春になって元に戻すのが面倒で、そのまま冬タイヤで1年運転し続けた人です。あはは。

あれから1年、あっと言う間だったなぁ。

2010年11月21日日曜日

今度はカメルーン

先週1週間はカメルーン出張で、昨日やっとこさジュネーブに戻りました。これで、今年の出張は終了のはず。

カメルーンで撮った写真はこの1枚・・・。



ははは(汗)。最後の晩餐。出発前のルームサービス。


前回のハラレでは、英語圏の11カ国の保健省スタッフを、今回のカメルーンではフランス語圏の15カ国の保健省スタッフを集めて、NTD対策のための長期計画を策定するためのテクニカルサポートを行った訳なのですが、そりゃあもう大変な作業でした(汗)。

そもそも、アフリカ人は(アフリカ人に限りませんが)、「○○対策の国家計画をつくりましょー」と言っても、みんな日々様々な仕事に追われて、じっくりプランを練る時間もないし、どうやって作っていいのかも分からない。よって、実際に計画をじっくり作ってもらうには、一度保健省の担当者を缶詰にして、横に座って一々一緒にガイドしていかなければ、10年立っても国家計画はできず、国は動かず、患者はそのままだ、というアフリカスタッフ一同のアイデアにより、各ワークショップ、10カ国以上の国からオフィサーを集めて缶詰にしたのですが、この1週間で作業を終わらせるべく、保健省のみなさんが朝8時から夜深夜まで、必死にプランを練っている間に、ファシリテーターである我々は我々で、早朝から深夜まで、翌日の進行プランやガイド、書類などなどを練る、作る、話し合う、練り直す。。。みんな、へとへとでした。

カメルーンのワークショップでは、ハラレの英語バージョンをフランス語バージョンに直せばいいので、ハラレよりは順調に進んだのですが、1週間フランス語漬けで、特に予算計画担当のあたくしは、各国のオフィサーとそれぞれ、こちらのつたないフランス語と、向こうのつたない英語でコミュニケーションをとらねばならず、はっきりいって、フラストレーション!せめてもの救いは、予算計画ツール(エクセル)の数式(例えば、駆虫対象者数とか必要な駆虫剤数の自動計算)は万国共通であったこと(当たり前)。フランス語、本気でやらんといかん。

そんなわけで、どちらもワークショップも、缶詰となったホテルから外に出る時間はほとんどなく、カメルーンにいたっては、19時にワークショップが終り、急いでシャワー浴びて、上記の海老ディナーを部屋でかきこんで空港に向かい、出国、という悲しいスケジュールで、全く街を見られませんでした。

あ~、疲れた。後は年明けまでは、メールと電話で、各国をフォローアップしていくことになります。まだまだ、責任もって頑張らねば。汗。汗。

この週末は、たまった洗濯物して、最近めちゃめちゃはまっております『げげげの女房』オンライン視聴(きっと違法です、てへ)で感動の涙を流しつつ現実逃避しながら、明日から別のミーティングでやってくるベトナム保健省スタッフの手助けで、彼らが発表する肝蛭症のプレゼン校正中。食品由来寄生虫はMy babyですから、俄然力入りやす!

いや~、それにしても『げげげの女房』たまらんなー。なんてったって、我が両親の故郷は水木しげるさんと同じ鳥取ですので、母が結婚して遠い遠い東京に旅立つのは、あんなんだったんだろうと、感情移入しながら見ております。じいちゃん、ばあちゃんも心配であっただろうに。小さい頃は、鳥取までの新幹線もないし(今もないけど)、特急電車の長旅で東京から鳥取まで帰ったもんです。

2010年11月1日月曜日

ハラレよりご報告。

再び出張でハラレ(ジンバブエ)に来ています。

ホテルの部屋からの眺め。窓がきちゃない・・・。あ、うちの窓よりましか。





昨日はホテルに着くや、どうしても体を動かしたい熱が高まって、スニーカー持ってこなかったんだけど(重いんだもの)、アフリカ人の同僚に笑われつつ、普段履きシューズのままホテルのジムに直行。そしたら、ランニングマシーンは壊れてるし、自転車マシーンも壊れてる...。それでも唯一生きていた山登りマシーンと、壊れた自転車マシーンを漕いで、筋力トレーニング機器を使って、一汗かきました。

ジュネーブに戻ったら、普段履きもできる(つまり出張に履いていける)ランニングシューズ買おー。

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ところで、なぜハラレから報告か、という疑問もありますが、実はだんなさんであるところのNamさんが、これまで大学院卒業後日本の某大学でポスドクしていたのですが、幸運にもスイスのETH(国立工科大学)の教員ポジションを得ることができまして、先週月曜からスイスに異動しております。アインシュタインの母校です。先日知ったんだけど、ETH、ノーベル賞受賞者の数、半端ないです。スイス、やるなぁ。

といっても、チューリッヒなので、ジュネーブから電車で3時間の距離ではありますが、時差なし!ですし、これまでの8年(?)の付き合いで一番近い距離なので、素晴らしい進歩であると言えるでしょう。週末会えるし、電話でいつでもしゃべれます。

なによりも、彼にとっても非常にチャレンジングなポジションなので、本人がわくわくしていて、嬉しい限りです。私より安定した雇用体系だし・・・(苦笑)。

真面目に頑張ってれば、神様がご褒美くれるもんだなぁ、と実感する今日この頃です。

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今日は、明日から始まるワークショップの準備で、アフリカチームのメンバーはみんなお馴染なので、ちょっと気楽です。現在コンゴに赴任中のS先生(我が部局のアフリカの地域・国事務所で唯一の日本人)なんか、最近会議が多いせいか、2週間おきに会ってるくらいです。先々週はジュネーブで一緒に寿司食べました。また2週間後にも会う予定。

今日の目標はプレゼンと、開発中のアフリカ用プログラム予算見積もりツール完成。ではでは。

2010年10月20日水曜日

セネガル回顧録。

ダカールから戻ってあっという間に2週間がたちました。帰国するや否や会議の嵐。特にはじめの1週間は、色々あってこれまでで1番ストレスを感じた1週間でしたが(ストレスのあまり、先週の土曜日は、買い物欲の全く沸かないこのジュネーブで、買い物しまくってしまったよ、汗)、大変勉強にもなりました。

途中やることがありすぎて、うおーっ!と心の中で叫んだこともあったり、なかったり。でも、めんどくさいっ、できんっ!と放らずに(小心者ゆえに放れない・・・)、こつこつやっといたおかげで、嵐が去った今週は、会議諸々もなんとか成功し、やっと一息できています。

今週末はだらだらするのだ!と宣言。

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ダカールの話に戻ります。

1.ダカールは大変美味しい町でした。日本人にはたまらんです。

生&炙りウニ!生牡蠣もあるんだって(旬じゃなかったから食べれなかったけど)。



シジミ的なもの。アワビ串焼きもたらふく食べました(写真忘れた)。



なんでも、牡蠣などの養殖は、日本の海外協力隊が技術移転(?)して、現地ビジネス化に繋げたらしい。セネガルは、お米もJICAがネリカ米の生産をサポートしているそうで、お米も大変美味しいのでした。JICA、いいことやってるじゃないの、と食を通じて感謝。

感動の手巻き寿司(泣)。会議でお会いして大変お世話になったJICAのHさんの御宅にて。一期一会です。



ちなみにこれがダカールの代表料理チェブジェン。魚・野菜の炊込みご飯。日本の炊込みご飯と変らんです。とっても美味しいです。これは同僚宅にて。



他にも、ホテルの横に『ダカール寿司』という現地人さんが握るすし屋があって、これまた美味でした。海の無いスイスから来た子には、新鮮な魚のあるセネガルは夢の地でした。もう、セネガル、赴任したい!(でも、現地事務所には大変優秀な現地スタッフがいるので、叶わぬ夢です、笑)。

2. 週末の空いた時間を使って少しだけ観光しました。

ダカール沖3kmに浮かぶゴレ島。

ちょうど水泳大会やっていた。ダカール人は本当にスポーツが好きやね。





ここは、15世紀以降奴隷貿易の奴隷積み出し港となった場所。「奴隷の家」と呼ばれる、西アフリカ諸国から奴隷として連行されたアフリカ人が収容されていた建物があります。ここから「売り手」がついた奴隷たちは船積みされて各国へ運ばれ、体力がなかったり、反抗したり、妊娠したりして「売れない」奴隷たちは海に投げ込まれ、サメに食べられたそうです。サメに食べられた奴隷、数百万人との記録。





こんな部屋に何十人もぎゅう詰め。もちろんトイレなし。



ここから船かサメへ。



人間って本当に恐ろしい生き物だ(怒)。

ダカールから少し離れた「ピンクレイク」という塩田湖にも行きました。時期によっては、湖が本当にピンク色に見えるらしいのですが、雨季だったため、ピンクじゃなかった(泣)。





道中の市場。



道中で果物を購入する同僚たち。



そんなこんなで、忙しくも楽しく充実したセネガル出張でした。まだまだ宿題が残っているので頑張ります。

2010年10月4日月曜日

ダカールに来ています。

セネガルのダカールに来ています。

保健省チームと、ドナーたちと、アメリカの某研究所コンサルタントと共に、NTD対策国家政策の運営計画を細かく詰めて、予算案を完成させるのがタスク。

初日、まずはセネガルチームのチームワークの良さに感動。いくつもの疾患対策を統合して計画を立てるのですが、疾患別プログラムマネージャーたちのみならず、本当にたくさんのドナーたちが一緒にテーブルにぴたっとついて、頭を突き合わせて計画を練る。保健省がしっかりNTD対策プログラムのリーダーシップを取っている証拠。

そして面白かったのが、テーブルについたのが20人くらいだったんだけど、白人1名(NGO)のほかは、数名のアジア人と現地セネガル人のみ。アフリカのこういうテーブルでこんなにたくさんのアジア人を見るのは珍しいので、不思議かつ嬉しかったです。香港系カナダ人(コンサル)、韓国人(NGO)、日本人(JICA)、そして私。

さらに驚いたのが、セネガルの食卓に普通にのっかっていたベトナム揚げ春巻き。名前も「Nem」とベトナム語のまま!なんでも、フランス植民地であった時代に、同じくフランス植民地であったベトナム人が結構連れてこられたみたいで、ベトナム料理が普通にセネガル料理に混じっていったそう。そもそもセネガル料理は、『白米+魚・肉』っていう感じなので、日本人的にばっちりです。海の無いスイスから来ると、毎日海の魚を食べられるのが幸せであります。日本人はやっぱ海の子ですね。ひたすら海産魚食ってます。



もうひとつの驚き、というか感動。途上国では、テニスやバドミントン、卓球、のように楽しめるスポーツは見るのですが、基本的に苦しいだけで、「自分との戦い」的スポーツの代表であるマラソン、ジョギングをしている人を見ることはないのです。でもダカール、ジョギング人口の多いこと!夕暮れ、海沿いの道路をたくさーんのセネガル人が、ジョギングウェアに身を包んで、走る、走る。自分も走るくせに、なんのために?自分のために?健康のために?と思わず問いかけてしまいたくなる光景でした。いいぞ、ダカール人!



それにしても、基本的に仕事中も仕事外も会話はほとんどフランス語なので、特に会議中は集中力使いすぎて、本当に疲れるよ。まぁ、私はたいがい喋る時はあきらめて同僚アンゴラ人に通訳してもらっているだけど(笑)。超インテンシブフランス語講座を受けている気分です。モチベーションもあがるってもんですわ。ジュネーブに戻ったら、もう一度頑張ろう。。。

タクシーの車窓から。青い空、青い海。



ブーゲンビリアが咲きほこる。



今週中に全タスクを終わらせられるように、今日もがんばるぞ。
週末は同僚たちと観光できたのですが、ネット環境が悪いのでは、続きはまた。

2010年9月25日土曜日

世界最悪の独裁国家?ジンバブエ出張

ツェルマットから帰った翌日は、ハラレ(ジンバブエ)出張でした。
我が部局がコントロール・撲滅を目指している熱帯病のアフリカ地域事務所、そしてカントリーオフィスのチームメンバーが一同に揃って、どうやって今後進んでいくか、一度みんなで同じ方向を向きましょう、という目的のミーティング。

私のタスクは、いくつかの疾患対策をIntegrateして効率的に進めていくためのパッケージングのヒントを提供すること、そして、ドナーと共有するためのIntegrated対策プログラムの予算案の効果的なつくりかたを提示すること。

同僚や直属の上司ではなく、大ボスである部局コーディネーターとの初めての出張ということで、実は「ちょっとやだなー」「ボスと行きたいなー」と思っていたのですが(笑)、それまで深く話をしたことがなくて、少し距離を感じていた大ボスと道中色んな話をしたり、一緒に飲んだりして、壁が一気になくなって、とても良いチャンスになりました。とくに、私はプレゼンを作って自分の頭の中をまとめるのが好きなので、これまで自分の中で、プログラムをより効果的にするための考え方を自分なりにまとめて構築したプレゼンが色々たまっていたのですが、それを初めて大ボスやアフリカチームメートとシェアして、いろんな場面で使ってもらえたのが嬉しく。ちゃんとプレゼンできることも分かってもらえて(プレゼンは、だてに学生時代に訓練してない!プレゼン命。K研究室のみんなに大感謝だよ)、出張の後、この大ボスが私の直属の上司や、さらに大大ボスであるディレクターに影で褒めてくれていたらしいことを聞いて(でもディレクターは声がでかいので、すぐばれた、笑。そしたら、コーディネーターが「おれはボスだから、本人には直接はほめないんだよぉ!って釈明してたよ」)正直ほーっと安心しました。日々こつこつ真面目にやってた甲斐がありました。

アフリカチームとも、非常に良い関係が築けて、今後が非常に楽しみです。宿題もたくさんできたし、ますます頑張ります。


ところで、ハラレ自体は、3日間朝から晩まで完全にホテル缶詰で、やっと市内を辛うじて見られたのは、最後の夜のディナー(会議に参加してた若手のアフリカスタッフとドナーチームのメンバーで、外に出た!)と翌日の出発前の1時間のお散歩だけ。市内の写真を撮ってはいけない雰囲気があったので(空港も、飛行機が着いた瞬間「空港で写真を取ることは禁じられています」とのアナウンスあり)、ほとんど写真ないです。

ただ、印象としては、典型的元イギリス植民地の首都といいましょうか。ザンビアのルサカと似た感じで、しっかり整備された大きな道路とビルで、がらーんとした感じです。





ジンバブエは「世界最悪の独裁国家」という悪名をもらっていますが、市民はみな非常に親切で陽気で(アフリカ人って、だいたいそうなんだけど)、私が日々一緒に仕事をしているジンバブエオフィスのカウンターパートも優秀だし謙虚だし、聞くと見るでは、印象が違います。ちなみに、世界最悪のインフレにより、現地通貨は崩壊し、今では完全にドル化されているので、旅行者にとっては、両替の必要がなく、楽チンです。

泊まったホテルは、イギリス統治時代の高級ホテルで、サービスもそれなりによく(何度かルームサービスを忘れられたり、たかだかコーヒーに1時間かかって催促の電話を何度したかしれないけど、電話の向こうの相手が陽気だから、にくめない)、料理は何を頼んでも美味しく、満足でした。それから、私たちの宿泊中は、AkonというアメリカのR&Bシンガーがコンサートで同じホテルに泊まっていたため(私はAkonって知らなかったんだけど・・・)、そのファンたちが大量に集っていて、金持ちジンバブエ人を見ていて圧倒されました。スーツもドレスも車も、みんなすごいんです。一億総中流であるところの日本人としては、これ、まさに圧巻。

実は出張最終日は私の誕生日でありまして、午前中をハラレ、午後を完全に飛行機の中で過ごす羽目になったわけなのですが、会議参加者に熱く抱擁してもらい、自分へのプレゼントに、ジンバブエで有名な石の彫刻を買ってみました。

誕生日前夜ディナー



石の彫刻、母と子の図(たぶん)。可愛らしくて気に入った。



33歳ぞろ目です。ぞろ目は良いサインらしいので、この1年も良いことがたくさんあると信じて精進します。宜しくお願いします。

2010年9月22日水曜日

ツェルマット登山へいってきた。

大変ご無沙汰してしまいました。相変わらずの絶好調な忙殺っぷりです。

そんな中、だいぶ過ぎたのですが、登山家・加藤滝男さんと行くツェルマット登山(初級)へ行って来ました。遊びは別腹。ジュネーブから電車で3時間ぽっきり。山小屋に1泊で、歩いたのが合計5,6時間でしょうか。でも実は泊まらなくても、一切歩かなくても、絶景の地までたどり着けますので、ご安心ください。おじいちゃん、おばあちゃんでも行けます。

言葉はいらないと思われますので、写真をご覧くらはい。

まずは、いきなり電車から見てた虹!



そしてツェルマットの駅付近で食べたご飯。ドイツ(ソーセージ)とスイス(芋)の融合です。ツェルマットはドイツ語圏スイスです。



そして、間違ったスイス(牛)と日本の融合です。



後ろの小さな小屋が泊まった山小屋。



歩く。



登山ルートがいっぱい。



岩登り特訓中のわたし。



早朝の日の出とともに、ツェルマットの天辺が燃える。



1分刻みでツェルマットの顔は変ります。



氷河に削られた跡らしいギザギザ。



たたずむ私。ここまで登山電車でぴゅーっと行けます。



山の上は氷河。



ツェルマットを前にして道なき道を行き、目を皿のようにして探すと・・・



エーデルワイスがっ!



楽しかったよー(号泣)。20人くらいで大部屋に寝るのも、何十年ぶり?かで楽しかったです(全員一応ベッドだし、羽毛のふとんで快適でした)。

実は翌日からジンバブエ出張だった訳なのですが、そんなの関係なし!体力つかって、心もリフレッシュして、最高でした。

みなさま、絶対人生に一度は見るべし!自然と地球の大きさと、人間のちっぽけさをしかと感じることができます。あなたの悩みなんて、小さなもんです。来年の夏もまた行きたいなぁ。