こんなん書いてる場合じゃないんですが・・・、こういうときに限って、現実逃避しちゃうYO。
今週、来週と4つ試験があって(ただいま、遠隔教育で2つ目の修士号取得中・・・涙)、ず~~~~っと勉強をさぼっていたダメ子さんは、1夜漬け、とは言わないけれど1ヶ月漬け中なのであります(偉い子は1年間こつこつ勉強しておくはず)。にも関わらず、こんな時に限って仕事は山のように溢れ続け、今週末なんか、勝手にバドミントンのトーナメントに申し込まれ、勝負の時なのであります(泣)。
でも仕方ないので、バドミントン、行ってきました、ジュネーブ・インターナショナル・トーナメント(棄権すると、罰金とられる・・・)。
私はもちろん、アマチュア・ランセンス無しの部。試合、となると、元来負けず嫌い故、やっぱり本気でやらない訳にはいかん、というわけで、前夜も試合直前の朝も、グーグルで「バドミントン 混合(と女子)ミックス 戦略」って検索しては、重要な戦略ポイントをメモメモして頭に叩き込み、Youtubeでプロの試合をじっくり見て、「ふむふむ、プロはこう動くわけね」と頭に動きを叩き込み。。
さらに試合の間は、毎回数時間の空きがあるので、体育館の横の公園の芝生に敷物敷いて、或いは体育館の隅っこに隠れて試験勉強して、また試合して、の繰り返し。ひょ~。
その結果、初めて混合ミックスで優勝したよっ。やた、やた。
思わずパートナー(同じ機関にお勤めのシニア)と抱き合っちゃったよ~。前回は2位で悔し涙を流したんだもの。
ライセンス無しの部だから、所詮アマチュアのアマチュアなんだけど(上手な人はみなさん、ライセンス持ってる)、俄然、バドミントン熱もモチベーションもますますあがり、コーチつけて、ライセンス取っちゃうか?と画策中。どんだけ本気でやるのか、わしら。
ちなみに今回の賞品は、メダルとYONEXタオルでした(しょぼい。前回はバド用Tシャツ&スカートだったの。サイズがでかくて、人にあげちゃったけど)。
ここんとこ、運動も忙しさにかまけてさぼり気味だったのですが、打ちまくって、走りまくって、ストレスもばっちり解消されたぜよ。結果的に参加してよかったです。やっぱり、どんなに忙しくても、運動は必須だね。
あとちょっと、試験勉強もがんばるろー。終りは必ず来るのだー。部屋がすごいことになってるけど、試験終わるまで目をつむろ~(ちがう)。
2011年5月30日月曜日
2011年5月15日日曜日
マラウィとジンバブエ。
マラウィーからジンバブエへ移動してきました(出張です)。
マラウィーを訪れるのは初めてだったのですが、空港からホテルまでの風景は、まるでナショナルパークの中を走り抜けているよう。街中も緑あふれ、高層ビルなどないし、車もあんまり走ってないし(最近のアフリカ諸国の大都市は、渋滞がえらいこっちゃなので。)、延々と広がる緑と遥か彼方に見える山々に心癒されました。最近わたくしは疲れているようで(歳をとったとも言う)、時間があれば、できる限り自然回帰したい傾向がありまして、「あ~、天国だ」と思ってしまいました(実際に、マラウィー人の同僚が「あや、きみはパラダイスに行くんだね」と行って見送ってくれたのでした)。
Lilongwe空港から町までの風景。さすがに町には建物ありますが、20時頃出かけたら(1人じゃないよ)、人っ子一人いないし、車もゼロで、街灯もほとんど無くて、星がいっぱい見えました。
一方のハラレの風景。大きな違い。どこのヨーロッパの都市に来たかと思ったよ。
マラウィーがイギリスから独立したのは1964年。それ以来一党制支配が30年以上続いたマラウィーでは、国民が徹底的に抑圧されて、女性はズボンもミニスカートも禁止だわ、男性は長髪禁止だわ、テレビも所有できないわ・・・で、いつしか世界の最貧国の1つに転落してしまったと。一方のハラレは1980年まで長々と、ローデシア(白人が実質支配していたザンビア+ジンバブエ)の首都Salisburyとして発展し続けたというわけらしい。早くに独立できたほうが良かったのか悪かったのか。
でも、そんなLilongweでも、ご飯は美味しいし(米とティラピアの組み合わせ。もう言うことありません。)、いまやなんと水道水が飲めちゃうし。某統計データによれば、都市部のTreatment water coverageは95%以上!(世銀が90年代後半に上水処理場建設に投資している模様) そんな「途上国」ありますか?下痢ぴーぴーで仕事にならないとまずいので、迷った末(迷うな)チャレンジしませんでしたが、まぁ実際には、シャワーの水から塩素臭がかすかにする気がしたので、やっぱり飲まなくて正解だったかもね。。。( ̄▽ ̄;) でも人々もほがらかで、同僚ケニア人が「夢の国だわ。もうナイロビの生活に疲れたから、あたしはここ移住するわ。仕事さがそ。」と言ってました。
ところで、ジュネーブからここまで、大変な長旅でした。アディスアベベで乗り継ぎだったのですが、アディスからLilongweまでのフライトには、アフリカ人もおれば、インド人も中国人も大量にいるし、もちろん白人もいるし、イエメンから来た、という青年たちもいました。「いま、イエメンの状況はどうなの?テレビじゃ紛争で大変そうだけど」と言ったら、「え?テレビを信じちゃいけないよ。僕はSana’aからカイロまで普通に旅してきたけれど、まったく紛争なんかなくて、平和そのものだったよ。テレビで映しているのは、ほんの一部だよ。」と言っていました。人懐っこくて可愛らしい青年たちでした。
中国人たちは一切英語が話せず(だから、フライトアテンダントとコミュニケーション取れない)、99%男性なのですが、年齢もそれほど若くない。40代以上でしょうか。家族から離れ離れで、未知の遠い遠い果て、マラウィーまで送られて、きっともらえるお給料も微々たるもので(現地人を雇わずに中国人を大量に送ってきたほうが安い、というあたり、いかほどかと。。。ま、中国人を使うのは賃金だけの問題ではないんでしょうが)。まさにChinese soldiers。人権って。。。複雑な気持ちで彼らを見守ってしまったよ。
とにかく、いまやアフリカどこに行っても、中国人が大量におります。建設中の道路やら空港やらホテルやら、ほとんどは中国企業によって建設されていると言っても過言ではありません。Lilongweでも、中国企業が、霞ヶ関(マラウィーの)のまん前に超巨大なコンフェレンスセンターと5つ星ホテルを建設中でした。これまで、アフリカ人の中で、これら中国人の評判はすこぶる悪いと思っていましたが(現地人労働者の扱いがひどいとか。時々、建設現場で暴動が起こったりしているよう。中国人をあえて送りこんでくるのは、文句言わずに働くから、という理由もあるのでしょう。それから、現地人を雇わないし、資材もなんでもかんでも中国から激安のものを運んでくるので、現地で雇用機会がそれほど増えず、お金も落とさない。現地の商売がつぶされる、などなど)、今回一緒に仕事をしているケニア人は
「いやいや、むしろ中国人がどしどし、インフラを整備してくれるから、本当に助かるわ。これで、発展の土台ができる。」
と言っていました。ちなみに彼女いわく、
「中国人は、刑務所に入れられていた囚人を労働者としてアフリカに送ってくるんだよ。その中国人たちが最近、現地のアフリカ人女性たちと子供をつくって、でも、時期がきたらその労働者たちは中国に連れ戻されちゃうから、父無し子が増えて、さらに女性たちのほうに『あなたの子供の父親は誰?』って聞いても『中国人はみんな同じ顔に見えるから、分からないわ。名前はチンチン(中国語が発音できない・・・)。』ってみんなが答えるの。新たな社会問題よー」
って爆笑してました。労働者として送られてくるのはみんな囚人、というのには私は懐疑的ですが、そもそも笑い事か。( ̄▽ ̄;) アフリカ企業、負けないで頑張ってちょうだいよ。
Lilongweからヨハネスブルクへの飛行機の中では、めずらしく中国人(風)ファミリーを見ました。家族でマラウィーに商売しに行ってるのかもな、と思ってたら、途中で中国語で話しかけられ、聞いたら、台湾人とのことでした。そういえば、オフィスのドライバーが、
「マラウィーに最初に入植してきたのは台湾人なんだけど、台湾人はいつしか去って、それから中国人が入ってきたんだ。まぁ、中国人も台湾人も同じだけどね。ははは」(台湾人が聞いたら怒るでしょう)
って言ってたので、まだ残っておられる台湾人ファミリーだったのかもね。
アフリカと中国人、今後の発展と交わり、いつも興味深く眺めています。なにせ、どこにいっても「よーチャイナ!」って話かけられるんだもの。昨日も機内で隣に座ったマラウィー人に「おっ、中国語を教えてね♪」って嬉しそうに言われたよ。
マラウィーを訪れるのは初めてだったのですが、空港からホテルまでの風景は、まるでナショナルパークの中を走り抜けているよう。街中も緑あふれ、高層ビルなどないし、車もあんまり走ってないし(最近のアフリカ諸国の大都市は、渋滞がえらいこっちゃなので。)、延々と広がる緑と遥か彼方に見える山々に心癒されました。最近わたくしは疲れているようで(歳をとったとも言う)、時間があれば、できる限り自然回帰したい傾向がありまして、「あ~、天国だ」と思ってしまいました(実際に、マラウィー人の同僚が「あや、きみはパラダイスに行くんだね」と行って見送ってくれたのでした)。
Lilongwe空港から町までの風景。さすがに町には建物ありますが、20時頃出かけたら(1人じゃないよ)、人っ子一人いないし、車もゼロで、街灯もほとんど無くて、星がいっぱい見えました。
一方のハラレの風景。大きな違い。どこのヨーロッパの都市に来たかと思ったよ。
マラウィーがイギリスから独立したのは1964年。それ以来一党制支配が30年以上続いたマラウィーでは、国民が徹底的に抑圧されて、女性はズボンもミニスカートも禁止だわ、男性は長髪禁止だわ、テレビも所有できないわ・・・で、いつしか世界の最貧国の1つに転落してしまったと。一方のハラレは1980年まで長々と、ローデシア(白人が実質支配していたザンビア+ジンバブエ)の首都Salisburyとして発展し続けたというわけらしい。早くに独立できたほうが良かったのか悪かったのか。
でも、そんなLilongweでも、ご飯は美味しいし(米とティラピアの組み合わせ。もう言うことありません。)、いまやなんと水道水が飲めちゃうし。某統計データによれば、都市部のTreatment water coverageは95%以上!(世銀が90年代後半に上水処理場建設に投資している模様) そんな「途上国」ありますか?下痢ぴーぴーで仕事にならないとまずいので、迷った末(迷うな)チャレンジしませんでしたが、まぁ実際には、シャワーの水から塩素臭がかすかにする気がしたので、やっぱり飲まなくて正解だったかもね。。。( ̄▽ ̄;) でも人々もほがらかで、同僚ケニア人が「夢の国だわ。もうナイロビの生活に疲れたから、あたしはここ移住するわ。仕事さがそ。」と言ってました。
ところで、ジュネーブからここまで、大変な長旅でした。アディスアベベで乗り継ぎだったのですが、アディスからLilongweまでのフライトには、アフリカ人もおれば、インド人も中国人も大量にいるし、もちろん白人もいるし、イエメンから来た、という青年たちもいました。「いま、イエメンの状況はどうなの?テレビじゃ紛争で大変そうだけど」と言ったら、「え?テレビを信じちゃいけないよ。僕はSana’aからカイロまで普通に旅してきたけれど、まったく紛争なんかなくて、平和そのものだったよ。テレビで映しているのは、ほんの一部だよ。」と言っていました。人懐っこくて可愛らしい青年たちでした。
中国人たちは一切英語が話せず(だから、フライトアテンダントとコミュニケーション取れない)、99%男性なのですが、年齢もそれほど若くない。40代以上でしょうか。家族から離れ離れで、未知の遠い遠い果て、マラウィーまで送られて、きっともらえるお給料も微々たるもので(現地人を雇わずに中国人を大量に送ってきたほうが安い、というあたり、いかほどかと。。。ま、中国人を使うのは賃金だけの問題ではないんでしょうが)。まさにChinese soldiers。人権って。。。複雑な気持ちで彼らを見守ってしまったよ。
とにかく、いまやアフリカどこに行っても、中国人が大量におります。建設中の道路やら空港やらホテルやら、ほとんどは中国企業によって建設されていると言っても過言ではありません。Lilongweでも、中国企業が、霞ヶ関(マラウィーの)のまん前に超巨大なコンフェレンスセンターと5つ星ホテルを建設中でした。これまで、アフリカ人の中で、これら中国人の評判はすこぶる悪いと思っていましたが(現地人労働者の扱いがひどいとか。時々、建設現場で暴動が起こったりしているよう。中国人をあえて送りこんでくるのは、文句言わずに働くから、という理由もあるのでしょう。それから、現地人を雇わないし、資材もなんでもかんでも中国から激安のものを運んでくるので、現地で雇用機会がそれほど増えず、お金も落とさない。現地の商売がつぶされる、などなど)、今回一緒に仕事をしているケニア人は
「いやいや、むしろ中国人がどしどし、インフラを整備してくれるから、本当に助かるわ。これで、発展の土台ができる。」
と言っていました。ちなみに彼女いわく、
「中国人は、刑務所に入れられていた囚人を労働者としてアフリカに送ってくるんだよ。その中国人たちが最近、現地のアフリカ人女性たちと子供をつくって、でも、時期がきたらその労働者たちは中国に連れ戻されちゃうから、父無し子が増えて、さらに女性たちのほうに『あなたの子供の父親は誰?』って聞いても『中国人はみんな同じ顔に見えるから、分からないわ。名前はチンチン(中国語が発音できない・・・)。』ってみんなが答えるの。新たな社会問題よー」
って爆笑してました。労働者として送られてくるのはみんな囚人、というのには私は懐疑的ですが、そもそも笑い事か。( ̄▽ ̄;) アフリカ企業、負けないで頑張ってちょうだいよ。
Lilongweからヨハネスブルクへの飛行機の中では、めずらしく中国人(風)ファミリーを見ました。家族でマラウィーに商売しに行ってるのかもな、と思ってたら、途中で中国語で話しかけられ、聞いたら、台湾人とのことでした。そういえば、オフィスのドライバーが、
「マラウィーに最初に入植してきたのは台湾人なんだけど、台湾人はいつしか去って、それから中国人が入ってきたんだ。まぁ、中国人も台湾人も同じだけどね。ははは」(台湾人が聞いたら怒るでしょう)
って言ってたので、まだ残っておられる台湾人ファミリーだったのかもね。
アフリカと中国人、今後の発展と交わり、いつも興味深く眺めています。なにせ、どこにいっても「よーチャイナ!」って話かけられるんだもの。昨日も機内で隣に座ったマラウィー人に「おっ、中国語を教えてね♪」って嬉しそうに言われたよ。
2011年5月2日月曜日
マンションだけど、家庭菜園。
約束どおり、ナム氏が我が家のベランダ(しつこいようですが、一戸建てではなくマンションです)に庭を造りました。
DIYショップでおもーい、おもーい、ブロックと土をたくさん買って。そもそも、なんでそんな大胆なことになったかと言いますと、ナムが以前から、空いた段ボール箱にビニール敷いて、自分の菜園を作っていたのですが、あまりにも見た目がきれいじゃない、と、私がアピールしたことによります。
これ、ダンボール菜園。
これ、新しい菜園。1週間前。
これ、今週末。確実に緑、増えてます。すごい成長率。
植えてあるの、9割野菜ですので、まさに家庭菜園です。予想以上に安くない投資になってしまったので、これからはどんどん野菜を作って、自給していきたいです。夢は、お友達の家にお呼ばれしたときの手土産が、チョコレートやワインじゃなくて、自家製野菜。素敵でしょう!まずは、レタス君とネギ君、頑張れよ。コリアンダーもあふれんばかりに育っています。
サボテンすら枯らすことで有名なズボラはわたくしですが、意外にも嬉しくって、ナム氏と2人して、何度も何度も『庭』を眺めています。ナムは、本当に1時間おきくらいに、窓の傍に立って、庭を眺めています。
先日は天気がよかったので、2人でこの狭いベランダにゴザを敷いて、おにぎり食べてピクニックしました。菜園を眺めながら・・・。その日は意外にも風が冷たくて、すぐに部屋の中に逃げ戻ったのですが(アホ)。
プランターも買ったので、もっと土を買って、お花も植えたいです。
ではでは。
DIYショップでおもーい、おもーい、ブロックと土をたくさん買って。そもそも、なんでそんな大胆なことになったかと言いますと、ナムが以前から、空いた段ボール箱にビニール敷いて、自分の菜園を作っていたのですが、あまりにも見た目がきれいじゃない、と、私がアピールしたことによります。
これ、ダンボール菜園。
これ、新しい菜園。1週間前。
これ、今週末。確実に緑、増えてます。すごい成長率。
植えてあるの、9割野菜ですので、まさに家庭菜園です。予想以上に安くない投資になってしまったので、これからはどんどん野菜を作って、自給していきたいです。夢は、お友達の家にお呼ばれしたときの手土産が、チョコレートやワインじゃなくて、自家製野菜。素敵でしょう!まずは、レタス君とネギ君、頑張れよ。コリアンダーもあふれんばかりに育っています。
サボテンすら枯らすことで有名なズボラはわたくしですが、意外にも嬉しくって、ナム氏と2人して、何度も何度も『庭』を眺めています。ナムは、本当に1時間おきくらいに、窓の傍に立って、庭を眺めています。
先日は天気がよかったので、2人でこの狭いベランダにゴザを敷いて、おにぎり食べてピクニックしました。菜園を眺めながら・・・。その日は意外にも風が冷たくて、すぐに部屋の中に逃げ戻ったのですが(アホ)。
プランターも買ったので、もっと土を買って、お花も植えたいです。
ではでは。
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