2009年12月31日木曜日

韓国+モンゴルの夜@ボン

3日目に電車で4時間かけてボンへ。語らいが尽きず、Rayoungの学生寮に結局3泊してしまいました。Rayoungの勉強道具がお出迎え。

ボンは、1990年まで西ドイツの首都だった町。いくつかの国連機関の本部もボンにあります。ベートーベンの生家もあります。


世界遺産もあるよ。ケルン大聖堂。



なんとRayoung、我らのために手作りキムチを巨大タッパーに2箱も用意しといてくれました。どんなにドイツ飯がうまいと言っても、やはり米とキムチと味噌汁に勝るものはない!アジア飯の勝利。毎日キムチパーティーでした。感激の涙。


お礼にベトナム揚げ春巻き。ボンのスーパーで見つけた中国製激安梅酒(1瓶300円くらい)と冷凍寿司(600円くらい)!食べる前に室温で解凍したら寿司。。。これ、ジュネーブでも売ってくんないかなぁ。



最終日には、Rayoungの仲良しというモンゴル人のお友達Dapchiのおうちにお呼ばれして、韓国+モンゴルディナー。

これまでに出会ったモンゴル人の友はみんなとっても明るくてポジティブで、良い意味で楽観的で、大好きなんですが、このDapchiもこれまたポジティブで明るい!そんな彼女がまた良いこと言う。

わたし「私のモンゴル人の友達はいつも笑ってるし、とてもポジティブだけど、どうしてだろう」

Dapchi「モンゴル人は遊牧民族でしょ。だから、環境に順応するのがとても上手。草を求めて移動して、草がなくなったら次の所に移動する。草をとるにも根っこから取るんじゃなくて、春にはまた生えてくるように食べる。つまり、嫌なことや辛いことがあっても、それなら泣いたり悩むんじゃなくて、自分がHappyなところへ移動すればいい。そして、毎日Happyでいることが一番大切。」

一理あり。人生を生き抜くための柔軟性。ちなみに、Dapchiはドイツ語と中国語しか話せないので、Rayoungが頑張って英語に通訳してくれたんだけれど、それでも4人で食べたディナーは明るく楽しくがはがは笑ってました。Dapchiなんか、初対面にも関わらずお土産までくれて。


Rayoung、Damchi、多謝!忘れえぬ一夜。

可愛すぎるよRothenberg

先週は有給とってましたが、今週はオフィスへ。
ほとんどみんなお休みとってる静かなオフィスへ通うのは、結構悪くない。自分のボスは来てるんで、ゆっくりDiscussionできたり。
でも今日から4日間、正月休みです。

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で、ドイツ旅行の話の続き。
2日目はNürnbergから電車で2時間ほどのRothenbergへ。
Rothenbergは、とにかく町並みが可愛い!中世の町並みが残り、まるで映画かアニメの舞台のよう!『魔女の宅急便』のキキが飛んでそうだもの(本当の舞台はスウェーデンらしいんだけどね)。





町がぐるっと要塞で囲まれていて、ずーっと要塞の上を歩けます。



そんなRothenbergは、第2次世界大戦中、日本が原爆を落とされる数ヶ月前に、同じく激しい空襲を受けて半分が崩壊。しかし、かつての面影をきれいがきれいに復興されたそう。日本と運命を共にしたドイツなのです。そのせいか、妙に親近感を感じるのね。



そして、恒例のドイツ飯。

かつてRothenbergをたずねた友お勧めのレストランへ。肉肉しいけど、味は非常に旨いっ!

巨大豚の指間接(横のボールはお芋でできた団子。もちもちして美味)



ミートローフと芋のパスタ(ニョッキみたいな感じ)



ザ・ジャーマンソーセージ



そして、Rothenberg発祥スノーボール。こんなん、昔、ミスタードーナツで売ってた時期あったなぁ。なかなか食べにくいけど、さくっとふわっと旨い。



Rothenbergの町並みのきれいさ、これまでに訪れた町の中でトップかもしれない。気に入った!

2009年12月27日日曜日

Nürnbergのクリスマスマーケット

今週は1週間お休みを取って、ドイツまで足を伸ばしてきました。
というのも、クリスマス前にありとあらゆる町で開かれているというドイツのクリスマスマーケットは、とても有名とのこと。

もうひとつ、ドイツに向かうことにした理由。
韓国人の古い友人Rayoungが、ドイツに住んでいるの。

Rayoungと出合ったのは12年前。クリスマスにロンドンから一人旅すべく、父の薦めでギリシャへ向かった私。アテネのユースホステルのドミトリーで、同じ2段ベッドの下の段に泊まっていたのが2ヵ月あまりヨーロッパを一人旅中だったRayoung。ふとしたきっかけから2人でギリシャ中を旅することになり、その年のクリスマスは、島からアテネへ戻るフェリーが大嵐で止まって、大揺れのフェリーの中ですごしたり(Rayoungは船酔いでゲーゲー吐いてねー)、バス代けちって日本の観光バスをヒッチハイクしたり(笑)。ある日、ある皮製品のお店に入ると、おばあちゃん修道女が現れて私たち2人を見て「あなたたち2人は、前世から特別な関係でつながっていて、将来もずっとつながっていくよ」と言われ、そのときは「ふーん」と思っていたものだけれど、その数年後にRayoungがロンドンに留学することになり、そこでまた近くになって。その後私はタイへ移り、日本へ戻り、6年ぶりに欧州へ戻ってきたら、Rayoungはその6年間ずっとドイツに住んでいたことが分かり。また近くになったのです。

そんなRayoungは、ただ今ボン国立大学歯学部で歯医者さんになるべく修行中。

で、ニュルンベルグという、特にクリスマスマーケットの有名な町へ、ジュネーブから電車で長旅8時間。



駅でRayoungと6年ぶりの再会を果たし、3人で早速クリスマスマーケットへ。



初めてのドイツは意外にも(失礼)美味しいものいっぱい。

この町で生まれたソーセージを使ったニュールンバーガー。



濃厚なフルーツケーキも有名。



卵でできた暖かいお酒が予想外にうまい。



可愛らしいカップごともらえます。

2009年12月21日月曜日

クリスマス深夜マラソン!

昨日はちょっと面白いイベントに参加してきたよぉ。

ジュネーブから高速飛ばして30分の距離にあるローザンヌで、深夜24時にスタートするクリスマスマラソン大会です。参加者の多くはクリスマスに因んだコスチュームを来て、5キロをひた走ります。

私とNamも早めの夕飯を済ませると、防寒の準備をして車を飛ばしてローザンヌに向かいました。

ローザンヌの町は急坂が多くって、走るにはかなり厳しいコースだったけれど、そして、深夜の気温はマイナス12度(!)だったけれど、無事5キロ完走。いや~、たくさんのサンタたちに囲まれて、深夜にも関わらず応援団もたくさいいて、とても楽しくいい汗かいた!



メダルももらったよー。

先週末から毎日雪降ってます。積もってます。ボタン雪。
そして、Namが喜び庭駆け回る・・・。



2009年12月17日木曜日

スープ祭り

普段はほとんど人の気のなくなる、寂しい週末のジュネーブ。
しかし先週末は、Escaladeなるお祭りがありまして、若干ですけれど(しかも旧市街の一部だけ)町が活気付きました。

この祭り、400年前、当時イタリア北西部やフランス東部サヴォイア地区をサヴォイア公国として牛耳っていたサヴォイア公がジュネーブに攻めてきたときに、市民が一丸となって戦い、はしご段をつかって城砦を上って来た敵兵に、熱いスープ鍋をひっくり返して撃退し、勝利したことを祝うお祭りなんだって。なんと微笑ましい (>_<)

で、400年間、毎年このお祭りでは、市民がかつての農民とか兵隊さんのようなコスチュームを着て、スープやホットワインを配り、パレードするってこと。

今週末はついに初雪が降りまして、それを境に毎日氷点下なジュネーブなんですが、凍えながらも2日両方ともお祭りへ繰り出してしまいました。





ジュネーブの町が中世に早変わり。太ったおっちゃんもじいちゃんも、なぜかコスチューム着ると、大きくたくましく格好よく見えるのね。

そしてこれが400年続く、敵を倒したスープ。カップごといただけます。野菜コンソメスープですね。



こちらは名前は全然覚えられなかったスイス料理。じゃがいもとチーズを一緒に大なべで煮る。スイス料理=いも+チーズ、ですね。





味はまぁ、いもとチーズ...。スイス、寒いから、土の中にできる野菜(いもとか人参とか)しかできないんかな。あとは乳製品。んー、まるでモンゴル。

いやぁ、それにしても寒かったぁ(泣)。この週末からジュネーブは一気に極寒地となりました。

2009年12月7日月曜日

細麺タルト

週末、車のない同僚の足となりIKEAへお買い物に行きました(車で高速を30分)。

で、IKEAの食料品コーナーでキャビアを発見。これがまた1瓶350円くらい。やすっ!思わず買ってみた。




さらに、同僚の長ーい買い物を待っている間に、IKEAの隣にあるスーパーを物色していたら、ついにーーー、モンブランケーキを発見!即買いでした(半額になってたし)。

でも途中で2回ほど落っことしたら、モンブランの山が崩れ、雪崩が起こりました(泣)。



でもさー、ケーキの名前をよく見たら・・・『細麺タルト』(tartelette des vermicelli)って書いてあるよ(Vermicelliって、アジアだと春雨、ヨーロッパだと春雨みたいな細さの麺のこと)。なんとも夢のないネーミング。

モンブラン、小さい頃から大好きだけれど、もし名前が『細麺タルト』だったら、こんなに大好きになってなかった気がする・・・(-_-)

あ、味は日本のモンブランと一緒で、ちゃんとマロンでとっても美味しかったです。念のため。

2009年12月5日土曜日

パリのスリ

最近とことん出張予定が延期され、延期され。本当はおとといから、アジア某国に行くはずだったのです。それが、向こうの厚労省からの招待状が届かず、現地の担当者は忘れて出張行っちゃうし。現地秘書からは「今日中に送るから」と言われ、待てども待てども結局届かず。で、航空券もなんとか押さえてあったのに、前日に延期決定(泣)。は~。なかなか予定通りに行かないことが多いもんです。まぁ国が国だからら仕方ないか。正月明けには旅立てることを祈って・・・。

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それはさておき、先週のパリ一泊旅行。

TVG(新幹線みたいなの)でジュネーブからパリまで4時間弱。

Namはパリ初めてなので、超おのぼりさんコースへ行ってみました。かく言う私も、パリは数回目にも関わらず、なぜか印象うっすくて、あんまり覚えていない・・・はは(そもそも、何回目かすらも覚えていない 苦笑)。なじぇ?なので、何回行っても、おのぼりさんコースで満足なわたし。

2日とも1日中雨で、寒かったけれど、でも、メジャーな観光どころはすべて歩き回って、カロリーいっぱい消耗した気分です。









偶然発見(って、もしや有名?)。エッフェル塔の目の前に「Place of Kyoto」という地点(交差点)あり。京都とエッフェル。




いや~、実はね、ちょっとしたハプニングがありました。

メトロ(地下鉄)に乗っていると、怪しい女の子4人組がある駅から乗ってきた。初めから、なんか怪しいと思って、ピンと来たのよね。案の定、4人が、私とNamを取り囲むように四方に移動し、ぴったりくっついてくる。全然込んでないのに。

で、すかさずNamに「この4人に気をつけて」と言って、すぐに自分の手を自分のポシェットのジッパーに移動すると、すでに一人の女の子の手が中に!その子の腕を掴むと、その子は急いで、ポシェットの中にあった私のペンケースを掴んで出そうとしてる。もちろんペンケースを奪い返すと、今度はその4人、私たちの後ろにたまたまいた4人組の日本人の女の子の観光客グループのほうへ移動していく。

で、すぐにその4人に向かって日本語で「この4人の女の子に気をつけてね。私も今掏られそうになったんだけど、今度はあなたたちを狙ってるから、ちゃんとカバン見張ってて」って言ってやったので、結局掏り4人組は何も盗めず。次の駅で降りていくときに、私のことを「ちくしょう」て目で見て去っていきました。

ふおっほっほ。そう簡単に盗まれてたまるかっちゅうんじゃ(いや、実は今から10年以上前、まだあたくしが10代で初心だった頃に、ロンドンで同じ手口でやられたことがあるんだす、照)。

それにしても、最近ジュネーブでも掏りが多くって。私は被害にあってないけど、周りで被害に会った人数名。悲しい世の中です。

でもちょっと考えてみると、ロンドンの時も、今回のパリのケースも、犯人たちは本当に若い中学生くらいの、外見からおそらく東欧あたりからの移民の子たちだと思われるんだけど、恐らくはこの子たちにそういうことをさせている大人たちが裏にいるはずで。それもそもそもは、世の中の大人たちの政治と、その結果生まれた経済不均衡が、そういうグループを生み出す原因の一端を担っていると思われ。大人の責任ですよ。憤り。


で、今朝ある友のブログを読んでいたら(日本ね)、財布を失くしたんだけど、それを拾った人が親切に家まで届けてくれた(もちろん何も盗まれず)、っていう話が書いてあって「あ~、日本はまだまだ素晴らしいなぁ」としみじみ思うのでした。日本は変わっちゃだめよー。

2009年11月27日金曜日

若葉マークとカンガルー

みなさま、ご無沙汰だす。いかがお過ごしでしょうか。
ここんとこ、仕事が次々と山のように降ってきて、更新遅れておりました。

ある先生に先日言われたました。「若葉マークつけて、いきなり高速道路を時速120キロで走らされている感じ」。そう、わたし(笑)。まさにそんな勢いですが、赴任後半年たって、やっと自分の立ち居地が見えてきて(遅い)、仕事にも勢いが出てまいりました。

しかし、忙しいのにはもうひとつ理由があるのです。はい、「あんた、まだこの期に及んで勉強するかー」と失笑が聞こえてきます。そうなんだす。実は先月から2つ目の修士号をとるべく、某大学の通信制で学んでおるのです。つまり、昼休みも夜も週末もお勉強することになっている(でも、なかなか進みませぬ、汗)。

人様の健康を預かるお仕事をさせていただく(といっても、限られた一部の世界の人様の健康なわけですが)にあたって、基本からしっかり公衆衛生について学びなおして、胸をはれるようになりたい、と思ったわけです。特に熱帯感染症中心なんですが。

仕事しながらの勉強はかなりハードではあるけれど、すでに知っていることが多いのと、仕事でまさに使っていることばかりなのとで、頭にすんなり入ってくる。面白いです。なかなか進んでないけど。2年で卒業できるように頑張るのだ。

まぁ、そんなわけでバタバタしているのですが、しっかりバドミントンとテニスには毎週行ってます。

よく遊び、よく学べ。

んで、明日から1泊、電車でパリまで足を伸ばしてみます。朝5時起きで、片道4時間。


BTW、今夜の夕飯はすごいよ。スーパーのゲテモノコーナーで見つけたカンガルーだよ。レアステーキ。カンガルーは、脂身が少なくて、赤みのお肉で、美味でした。次はどんなゲテモノに挑戦しようかなん。

2009年11月16日月曜日

ワクチンは金曜日に。

オフィスをシェアしている同僚の子供2人がインフルエンザ(ただし季節性)に罹ったという。

ちなみに母上である同僚は、すでにインフルエンザワクチンを受けているので、ぴんぴんしています。

あいにく先週の水&木曜日は、ある大きなステークホルダーミーティングのサポートをしていたため、ほとんどオフィスに戻ってこず、安全だったんだけれど、金曜の午前中にやっとサポートが終わってオフィスに戻って、とっても危機感に襲われまして。「こうやって、おしゃべりしている間に、明らかにウイルスが飛んできてるよな~(汗)」と。

ぴんぴんしている彼女だけれど、明らかにウイルスは撒き散らしているでしょ。どうりで、前のオフィスとその隣のオフィスから、やたら咳きとクシャミが聞こえてくる・・・(苦笑)。

そんなわけで、金曜の午後一番に、インフルエンザワクチン(季節性。H1N1ではありません)をオフィスのクリニックで受けてきました。ついでに、そろそろ打つことになっていた2度目の肝炎ワクチンも一緒にぶさりと打たれました。

で、インフルエンザ自体への感染はおそらく免れたものの、副作用の微熱&頭痛&関節痛&倦怠感で週末はやられました。頭いたいよー。

もちろん、インフルエンザにかかった高熱にうなされる事を思ったら、全然ましです。

前回の黄熱病ワクチンもそうだったんだけど、ワクチンはやっぱり金曜に打つのがいいね。土日ひたすら寝てられますので。てへへ。だんなさんにご飯も作ってもらって、掃除もしてもらって、感謝感謝でありました。

2009年11月9日月曜日

雪山

日曜日は朝から快晴で、山に登りたいっ!という欲望を満たすべく、『ジュネーブ周辺ハイキングガイド』を引っ張り出し、比較的難易度の低い手ごろなハイキングコースを選んで、登山ルックで、フランス側の山岳地帯Juraへと車を走らせました。

ジュネーブからすぐ傍に見えている山々なんだけど(山好きの同僚は、いつでも山にいけるように、敢えてJuraの山の麓に住んで、毎日ジュネーブへ通勤してます。)、今日の目的コースは、車でくねくね道を1時間ほど行き、一山超えたところにある。

その一山のこっち側(ジュネーブ側)はまだ雪降ったことないんで、なーんにも考えずにハイキング気分満々で行ったんだけど





一山超えると、そこは白銀の世界・・・





雪山じゃ、ハイキングなんかできないわ~(泣)、って訳で、敢無く退散。ドライブだけしてジュネーブに戻ってきました。タイヤ、つるつる滑るし。

なるほど。ハイキングは夏山だけなのね。う~、来年の春までお預けかぁ。あと、そろそろウィンタータイヤにタイヤ交換せねばならんってことにも、はじめて気づきました。人件費の恐ろしく高いジュネーブだから、タイヤ交換も高そうだなぁ・・・しょぼん。

それにしても、冬は何して遊ぼっかなぁ。

2009年11月8日日曜日

Annecy

Pembaから戻ってきたジュネーブには、だんなさんだけでなく、嬉しいことに、JPO同期のSちゃんも、別機関ではありますが、ジュネーブ本部に赴任してきたのでした。ほんとに嬉しいわ~。

私がジュネーブに到着したばかりの頃は、Rさんのお宅にステイさせてもらったり(なにせ、ジュネーブは家探しが本当に大変です)、お家探しのヒントをもらったり、色々お世話になったもの。今度は私がお手伝いさせてもらう番だい!ってことで、ジュネーブ到着早々の先週は、Sちゃんには我が家にステイしてもらっていたのでした。やっぱり家に帰って誰かがいるって、いいよね~。共同生活、楽しみました。

で、とりあえず仮の住まいを見つけたSちゃん、新居へ移っていかれたんだけれど、その新居が我が家の目の前。わ~い。


というわけで、昨日はそんなSちゃんも含めた3人で、車を飛ばして30分あまりのところにあるフランスの町Annecyへ。生憎の雨で、ものすごく寒かったけれど、可愛らしいお店をたくさん物色して、ランチにフランスといえば、のそば粉入りクレープも食べて、なかなかの週末第1弾となりました。







ついついベトナム料理のテイクアウェーで足が止まるあたし。



ちなみに、Annecyの紋章(?)はこれなんだけど、なぜお魚なのか分からず。なんでだろー。大きな湖があるからかな。

2009年11月7日土曜日

プロデューサーと俳優

先週木曜にジュネーブに戻りました。戻ってきたら、町中の木が紅葉して秋模様で美しいです。気温は冬だけど。

ジュネーブに戻ってから、やたら時間のたつのが早く、更新が滞っております。きっと一番の理由は、だんなさんが訪ジュネーブ中だから。



ところで、今日、同じ部局の大先輩が面白い話をしてくれました。


どこの職場でも同じでしょうが、うちの機関で働く人々にも2種類の人種がいると。


片方は先輩曰く「Refrigerator Staff」

自分では決して流れを作らない。決して自分からは動かない。
普段は冷蔵庫の中にひっそり隠れてる卵のような存在。特に食べるものがないときに「なんか食べるもの無かったっけな~」と冷蔵庫を開けると、そこにひっそりとたたずむ卵。「あ、こんなところに卵あったんだ~」と発見され、突然スポットライトを当てられ、夕飯の主役になる。俳優さん。
常に周りが作る流れを待って待って、流れが来たら、うまくそれに乗っかる。
だから、敵は作らず、しかし流れも作らず、自らは何も変えず。でも、やたら名前は表に出る。


もう片方はいわゆる「Producer」

自分から流れを作る。いわばプロデューサー的存在。自らストーリーを作り、舞台をデザインし、台本を作り、配役を決め、台詞を与え、全ての流れを作り上げ、最終的に望むアウトカム(結果)へと導いていく。
この世界、出る杭は打たれるもの。当然敵を作る。そして、常に裏方なので、表に名前は出ない。でも、自分は知ってる。全ての流れを作ったのは自分だっていうことを。


政治です。同じ部局の先輩たちや鳩山さん、小沢さんの顔を思い浮かべながら、ふむふむと聞いてました。
ちなみに大先輩は後者。戦ってます。

2009年10月27日火曜日

別れのとき

本来の予定では、イタリア人医師夫婦は12月までPemba赴任で、もちろん私が先に帰国するはずでした。

それが、突然だんなさんStephanoの母上、御歳98歳、が危篤との連絡がイタリアから届き、急遽チケットを変更し、日曜日、2人はイタリアへ旅立たれました。

あぁ、別れはいつも辛いね(泣)。特にStephanoとLuchana(奥さん)は、本当にホストペアレントのように可愛がってくれて、朝夕毎日私の分まで料理してくれて、週末は一緒に買い物行って。他のイタリア人たちはついついイタリア語だけで会話を続けそうになるところを、2人はいつも私を気遣って、Luchanaなんか英語つたないのに、必ずいつも英語で頑張って話してくれて。別れの前日には、3人で、Stephanoに支給されてる超年代ものランドローバーで最後のお出かけしたのが、とっても良い思い出になりました。



PembaにPUJINI RUINという遺跡があって。ほんとにちっちゃな遺跡で、そこにたどり着くまでの道は激しくガタガタボコボコで、時にランドローバーが転倒しそうになるくらいだったんだけど、でも、途中の村々の人々がみんな親切かつ気さくで、挨拶を交わしまくりながら(本当に、道行く人全員が「Hello! Jumbo!」と声かけてくる)道を進んで。





でも、時に修復の仕方に問題あるよね・・・。なんか、どっかのチンケなアミューズメントパークみたいだよぉ(号泣)。



ちなみにこの遺跡は、15世紀にペルシャ人がPembaにわたって、小さな王国的なものを築いたときのもので、その後ポルトガル人がやってきて、ペルシャ人の王様はPembaから逃げていったんだけれど、でも当時の名残は、遺跡周辺の村々の住人の顔にはっきり見られます。明らかに黒人ではなく、アラブ・中東系。思わず自分はアフガニスタンかイランか何かにいるのか、と勘違いするくらい。当時のPembaは、アラブ、インド、極東からも人々が貿易のために旅してくる島で、とってもコスモポリタンだったそう。いまでいうNYとでも言いましょうか?