2010年12月31日金曜日

アラビアのロレンスの地へ。

Aït-Ben-Haddou

マラケシュからバスで4時間ほどの距離にある、Aït-Ben-Haddou(アイット・ベン・ハドゥ)という集落へ向かいました。

マラケシュから南へ下っていくわけなのですが、むかーしむかし、地理の授業で習ったとおり、南に行くに従い、だんだん緑地がなくなっていって、



最終的には、砂漠とまではいかなくても、不毛の地となります。




旅中の集落。



休憩でランチしたお店。赤い看板には、アラビア語でコカコーラって書いてあるはず。ランチはもちろんタジン鍋。メニューはそれだけ。



砂漠をどんどこ進み、山の断崖絶壁を真横に見ながら、目をつぶって、この断崖絶壁を絶好調で飛ばしていく運転手さんの腕と経験と神のみを信じて・・・




さらに砂漠を進んで4時間、突然緑が増えてきた。そう、これが地理で昔習った「オアシス」だなぁ、きっと。集落は必ず、砂漠の中で水が沸く地にできるってね。遊牧の民ベドウィンたちがかつて、オアシスを求めて砂漠を遊牧して、お、こんな所に川が!と住み着いたんだろうなぁ。



そして突如現れた町、Ouarzazate。なんだか、町中がディズニーランドのビックサンデーマウンテンのようだよ。





このOuarzazateからさらにタクシーで20分の地にやっとありました、Aït-Ben-Haddou。



ここはかつて、隊商交易の中継地として栄え、カスバという邸宅が多く建築されたそうで、中でも特に有力であったハドゥ一族が築いたのが、この集落。

盗賊などの掠奪から守るため、集落全体が城砦のような作りになっていて、敵の侵入を防ぐために集落への入口はひとつしかなかったり、通路がめちゃくちゃに入り組んでいたり、外壁には銃眼が施されていたり。集落全体が世界遺産になってる。

そして、うちの父上の大好きな映画「アラビアのロレンス」や、坂本龍一が音楽を担当したジョンマルコビッチ主演の「シェルタリング・スカイ」や、かの有名な「グラディエーター」や、さらにはチベットが舞台のマーチンスコセッシ監督の「クンドゥン」など、たくさんの映画が撮影された舞台なのです。

今は10家族くらいしか住んでいないらしいけど。





遠くに目を凝らすと・・・



砂漠の中に、雪に覆われたアトラス山脈が。砂漠と雪を同時に見られる不思議。




そして、アラビアンナイトに扮して嬉しくて仕方ないナムさんと、グラディエーターでエキストラをした(とフランス語で言っていると理解した)地元の青年。



ちなみに、この集落の宿に泊まったら、ホテルは綺麗でご飯も美味しかったんだけど、恐ろしく寒い上に停電で水も止まって面白かったのですが、3泊4日にしては大変有意義な旅となりました。

3つの町しか行ってないけれど、どこもかしこも土色を生かした建物で都市計画が一環しているようで、何百年も前から景観が変っていないのではないかと思われるほど(もちろん、信号はあるし、車は走ってるし、都市化はちゃんと進んでいるんだけど)。カサブランカ(産業の中心)にでも行けば、近代的な建物があるのかな。交通整備もしっかりしているし、町中に道路掃除の人がいて、道には塵ひとつない(砂埃を除く)というくらいの清潔さ。ナムさんも大変関心していました。

2010年12月28日火曜日

モロッコに行ってみた。

約束どおり、風邪を押してモロッコ旅行へ行って来ました。3泊4日。

実は行く前に、モロッコに行ったことがある、という日本人の女性数人から「全く良い思い出がない。」「唯一覚えているのは、朝食のオレンジジュースが美味しかったことです。」「美味しいものがないよ。」「ひったくりがいっぱいで危なかった。」「観光ガイドや客引きが激しくて、怖い。」等等、散々な感想をいただいていたのですが(泣)、実際に行ってみたならば・・・

ご飯はおいしーし!
観光ガイドなんて、全然寄ってこなかったし!
客引きも、みなさんとっても謙虚でむしろ期待外れなくらいだったし!
街の人々はとっても親切で!
道がとってもクリーンで(ゴミがひとつも落ちてないと、ナムさんが感動)
アフリカでありながら、中東でもあり、地中海地方にもあり、元フランス植民地で、ムスリム国でもあるモロッコは、とても美しい文化を持ち、人々は誇り高く、とても好印象に終わりました。

きっと、上の感想をくれた方々はみなさん、とっても美しく可愛らしく典型的な(?)大和撫子さん(風)だったから、狙われちゃったのね。そして、全然狙われなかった私とナムさん・・・。


マラケシュ


朝6時出発で、ジュネーブから直通片道3時間でマラケシュへ到着。

滞在は、Riadと呼ばれる、モロッコの伝統的な中庭つきの一戸建てをゲストハウスに改築したところにしました。マラケシュ中に山ほどあります。





屋上で食べる朝ごはんの、パンケーキみたいなパンがふわふわで美味。そして噂どおり、絞りたてのオレンジジュースが美味すぎでした。町中いたるところにオレンジの木が生えてたし、街の市場にもいっぱい絞りたてオレンジジュースの露天が出てました。1杯40円くらい。



目を見張る美しさのバヒア宮殿。19世紀後半にある大臣が4人の妻と24人のお妾さんのために造ったそうで、映画「アラビアのロレンス」のロケがここで行われたそう。





迷路のように路地が入り組んだメディナというエリアに、小さなお店がぎっしり詰まっています。



薬局。モロッコの薬草とかお茶とか色々。朝鮮人参的なものを「天然のバイアグラ」と売っていた。





メディナの中心が広場になってて、お店がいっぱい。猿使いやコブラ使い(笛を吹いたら、コブラが踊る)がいます。夜にはここが、ご飯の露天で溢れます。



そこで食べた得意のゲテモノ料理をご紹介します。

かたつむり。フランス料理にもエスカルゴがありますが、このかたつむりは、なんだか、「あなた、よくアジサイの葉っぱについてましたよね」的身近な雰囲気のカタツムリさんで、目も出てるし、何でも食べるベトナム人であるところのナムさんが、予想外にひよってました(ベトナム人的に、色んなハーブで臭みを殺さないと駄目らしい)。地元民が美味しそうに食べてるので、2人で必死に完食しましたけども。コリコリしてるかと期待したら、ぶにょぶにょでした。



それから、こちらの屋台の上に見えます・・・





羊の乳(右)と臓物。乳ははっきり言って、脂肪の塊。



そして、羊の脳みそ。これは、白子のようで美味でした。



もちろん、普通のものも食べました。モロッコの代表的料理、タジン鍋。どこへ行ってもタジン鍋です。円錐形のタジン鍋に、お肉やたくさんの野菜を詰めて、蒸し焼きにした鍋物で、フランス料理のポトフを煮詰めた雰囲気でこれも美味です。



長くなったので、続きの街Ait Behhadouは、次回にします。

2010年12月20日月曜日

誠意

タイトルと全く持って関係ないですが、偶然見つけたので。もはやただの紙と化したジンバブエドル紙幣。500億ドル(苦笑)。いまや、空港でお土産として売ってます。これは2USDでした。



これは一応Namへのお土産に買ってたのですが(やすっ!)、ジンバブエ出張から戻るや否や(上の紙切れを渡す前)Namが

「あ、お願いするの忘れてた!ジンバブエ紙幣をお土産に買ってきて、って言おうと思ってたんだ!」

っ言うので、「じゃじゃ~ん」とこの紙切れを差し出したら感動しちゃって、さらには

「これを100枚くらい買ってきてもらいたかったんだよ~。きっと50年後にはすごい価値がついて、うちらは億万長者だよ!」

って、こんなんに2万も払うかー!


という馬鹿話はおいといて。


人間の生活は単独では成り立たない。さまざまな人間関係を土台として、無数の人の恩恵によって築き上げられている。個人の生活をより幸福に、より充実したものにするためには、当然この人間生活の構造を無視できない。人間関係は信義をバックボーンとして、円満に保っていかねばらなないし、他人から受けている恩恵には十分に応えなければならない。つまり、信用を確立することである。
私は信用をこう考えている。ひとつは人間愛だと思う。人を愛し、人に愛されることだ。ひとつは約束を守ること。もうひとつは人に儲けさせること。つまり自分の人生と仕事を通じて多くの人に恩恵を与えること、これに尽きると思う。


と言ったのは、HONDA創業者の本田宗一郎氏。



アフリカ地域事務所のボスたちが、前回のHarare&Doualaワークショップで、アフリカ各国保健省の担当者たちに「12月中に○○対策国家計画と予算案のドラフトをあげるように」と指示したものの、師走の忙しい時期にそう簡単に上がってくるはずもなく。地域事務所が28カ国全担当者に向けてまたリマインダーメールを回してみたところで、返事もまばら。As usual。

そこで思う。相手にこの忙しい時期に大仕事を頼んでいるんだから、こっちもそれをサポートする準備があるという決意と誠意を見せなきゃだめでしょ。そこで、地域事務所に了承得た上で、わたくし、1国1国にラブレター(フォローアップメール)作戦に出ました。そしたら、返事が来る来る・・・。よし!と思ったと同時に、一抹の不安が・・・こんなに返事が来ちゃったら、1人で28カ国の対応できましぇーん。

再びアフリカ地域事務所の担当者たちに状況を説明し、

「うんとさ、少なくとも英語圏は責任持って対応するけど、フランス語圏は、やっぱりそっちが責任持って対応してくれたほうがいいと思うんだよね。もちろん、手が足りないようなら、当然一緒に対応するけど。それに、そもそも、本部にいる私が地域事務所のすべき仕事を全部やっちゃうのは、職域侵害みたいに思われてもあれだし・・・(本部と地域事務所の間ではしばしば確執あり。これを無くしたい、というのも私の願い)。ただし、これは誠意を見せると決めた以上、相手のモーメンタムを失わないためにも、こっちも相手があげてきたドキュメントをレビューして即座に返す、というスピードが重要だと思うんだよ。うん。」

ってメールしたら

「Don’t worry、あや!イニシアチブを取ってくれてありがとう!素晴らしいよ!やっぱり本部と地域事務所が1つのチームとして一緒に仕事をすることが重要だからさ、あやがどんどん対応しちゃってくれよ!Please continue!!」

って。いや、そーじゃなくってさぁ・・・。んーーー。とりあえず、頑張るしかにゃい。


といいながら、今週末は風邪を引いて、久々に寝込みました。去年もこの時期に風邪を引きました。去年は1人でしたが、今年はNamさんがいるので、寝ててもお粥が出てきて、洗濯が終わってて(洗濯物、くちゃくちゃのまま乾かされるのも、今回は目をつぶりましょう)、寝てるドアの向こうで掃除機をかける音すら聞こえ、素晴らしいことです。もちろん全て自発的行動です。私が呪って、或いは鞭持ってやらせてる訳ではありません。

んー、でも、寝込んでいる場合じゃないんだ。

スピード勝負なんだ。

しかも、実は火曜から3泊4日でモロッコにホリデーに行く予定なんだ・・・(って、そんな場合か~。だって、予約した時点では、こんなにみんなからリスポンスがいいなんて、思ってなかったのよ~。もちろんPC抱えていきます。ネットの繋がるホテルを予約したし、汗)。

ま、なんとかなるさ~~~。乗り切るさ~。


みなさまも風邪にはくれぐれも気をつけてください。私は、生姜汁(梅干、醤油、蜂蜜入り)をひたすら飲んで、風邪を撃退します!

2010年12月7日火曜日

買出しとスノーシュー

この土日は、久々にジュネーブでゆっくりできるということで、土曜は買出しへ。

まずは、某チープ家具・電気屋Conforamaで、ジューサーとオーブンを購入しました。これで、毎朝バナナジュースが飲めますし、週末に万一気分が向けば、ケーキなんか焼けます(って、焼いたこと、ないけど)。いや、それよりも魚が焼けます。チキンやお野菜も放り込むだけでお料理ができますし、不精なわたしにはぴったりです。

毎週、どんなに忙しくても頑張って足を運ぶメコンマーケット(アジア食材屋さん)では、とてもベトナムな買出しをしました。



ここは、ベトナム系フランス人のおじさん・おばさんが経営しているのですが、ご夫婦どちらも可愛らしいのです。これまでは、いつも1人で行っては、ベトナム語を練習がてらしゃべってもらっていましたが、最近はNamさんも参上し、なんだか親戚のおじさん・おばさんのようです。特におじさんは、顔から優しさが染み出るような暖かさで、癒されます。

ちなみに、この日の夕飯は、Namさん手作りのカエルスープでした。白く浮かんでいる足が、それです。まだ冷凍庫に、いっぱいカエルが入っています。





土曜の夜は、我が家のエンジニアNamさんが、ばらばらに買った液晶スクリーン(日本から手荷物で運んできた)と、ワイヤレスのキーボード・マウスを使って、私のノートパソコンをデスクトップ風にしてくれました。



画面は大きいし、目からの距離が離れるし、キーボードも押しやすくて、大変快適です。快適すぎて、ご飯もこの前で食べている始末です。画面にアイコン多すぎなのは、忙しかったってことで、気にしないでください。


そして、日曜日。ついに、スノーシューの季節がやってまいりました。Namさんの記念すべき初スノーシューは、登山家の加藤滝男さん主催で、スノーシューで山の上にあがって、山小屋でチーズフォンデュ作って食べて、ワイン飲んで、またスノーシューで帰ってくる、という素敵な企画。







実は帰りは吹雪だったのですが、滝男さんがついてるということで、心から安心でした。最後は雪の丘を大型そりで滑り降りたりして、子供のように遊びました。あぁ、楽しかった。

欧米人も日本人も、次々と帰郷モードに入るクリスマス前。これをチャンスに、わたしたちも、のんびり冬を楽しみたいと思います。

2010年12月4日土曜日

カレーパーティ

先週末は、チューリッヒのナム宅へ行ってきました。もう今年は出張もないし、その安心感もあって、数ヶ月ぶりに精神的にゆっくりしました。

Namの勤めるETHには、大学院時代からの仲良しKくんがポスドクとして赴任しているのですが、さらに同じ大学院の先輩が2ヵ月研究で訪れていて、さらにNamが隣の研究室に、同じ大学院の、しかも同じ学部を卒業した日本人君が博士課程の学生として留学しているのを発見し(研究室の外にはってあるネームプレートに日本人の名前を発見して、挨拶に行ったらしい、笑)、さらに同じ大学院に留学していたスイス人のM君が今はスイスに帰国している、ということで、全員Nam宅に集めて、日本のカレーパーティをしました。

Namの隣の研究室のYくんなんか、さすが同じ学部卒。共通の知り合い教授がいる。「○○学科ならInoue先生(関西弁のほう)、知ってる?」「もちろん知ってますよ!僕の修論の副査ですよ。先週、会議でジュネーブ来てましたよ。」「まじー?知ってたら絶対会いに行ったのにー!」みたいな。世界は狭いねぇ。

不思議な時間でした。チューリッヒのNamの部屋が、東京に一晩トリップした感じ。どうしても同じ機関に勤めている人とばっかり付き合ってると、視野が狭くなってしまうんだけど、色んな分野で、色んな機関・会社で頑張ってるみんなの話を聞いて、いっぱいいっぱい笑って、元気をもらいました。本来自分が一番やりたかったことを思い出したような。

バーモンドカレー生卵つき+Nam特製スープ。



日本のカレー最高だぜ~。

2010年12月1日水曜日

朝おきると・・・



昨日の午後から始まった大雪。突然始まったせいで、冬タイヤに変えていない人がほとんどで、朝は降ってなかったもんだから、帰りに車で帰れない人が多発。さらに、それでも無理やり車で帰ろうとした人も多発して、事故も多発したらしく、道路の車もバスも完全に止まって、すごい状況に。

そんなに簡単に麻痺してどうする、ジュネーブ。

私も車置いて、歩いて帰りました。「徒歩圏に住んでてよかった~。」って。

でも夜、「明日は交通手段がない人は自宅で仕事をしてもいい」ってメールが回った。こんなときは「くそー、徒歩圏だと、自宅待機する理由がない・・・泣」

ちなみに私は、去年冬タイヤに変えてから、春になって元に戻すのが面倒で、そのまま冬タイヤで1年運転し続けた人です。あはは。

あれから1年、あっと言う間だったなぁ。

2010年11月21日日曜日

今度はカメルーン

先週1週間はカメルーン出張で、昨日やっとこさジュネーブに戻りました。これで、今年の出張は終了のはず。

カメルーンで撮った写真はこの1枚・・・。



ははは(汗)。最後の晩餐。出発前のルームサービス。


前回のハラレでは、英語圏の11カ国の保健省スタッフを、今回のカメルーンではフランス語圏の15カ国の保健省スタッフを集めて、NTD対策のための長期計画を策定するためのテクニカルサポートを行った訳なのですが、そりゃあもう大変な作業でした(汗)。

そもそも、アフリカ人は(アフリカ人に限りませんが)、「○○対策の国家計画をつくりましょー」と言っても、みんな日々様々な仕事に追われて、じっくりプランを練る時間もないし、どうやって作っていいのかも分からない。よって、実際に計画をじっくり作ってもらうには、一度保健省の担当者を缶詰にして、横に座って一々一緒にガイドしていかなければ、10年立っても国家計画はできず、国は動かず、患者はそのままだ、というアフリカスタッフ一同のアイデアにより、各ワークショップ、10カ国以上の国からオフィサーを集めて缶詰にしたのですが、この1週間で作業を終わらせるべく、保健省のみなさんが朝8時から夜深夜まで、必死にプランを練っている間に、ファシリテーターである我々は我々で、早朝から深夜まで、翌日の進行プランやガイド、書類などなどを練る、作る、話し合う、練り直す。。。みんな、へとへとでした。

カメルーンのワークショップでは、ハラレの英語バージョンをフランス語バージョンに直せばいいので、ハラレよりは順調に進んだのですが、1週間フランス語漬けで、特に予算計画担当のあたくしは、各国のオフィサーとそれぞれ、こちらのつたないフランス語と、向こうのつたない英語でコミュニケーションをとらねばならず、はっきりいって、フラストレーション!せめてもの救いは、予算計画ツール(エクセル)の数式(例えば、駆虫対象者数とか必要な駆虫剤数の自動計算)は万国共通であったこと(当たり前)。フランス語、本気でやらんといかん。

そんなわけで、どちらもワークショップも、缶詰となったホテルから外に出る時間はほとんどなく、カメルーンにいたっては、19時にワークショップが終り、急いでシャワー浴びて、上記の海老ディナーを部屋でかきこんで空港に向かい、出国、という悲しいスケジュールで、全く街を見られませんでした。

あ~、疲れた。後は年明けまでは、メールと電話で、各国をフォローアップしていくことになります。まだまだ、責任もって頑張らねば。汗。汗。

この週末は、たまった洗濯物して、最近めちゃめちゃはまっております『げげげの女房』オンライン視聴(きっと違法です、てへ)で感動の涙を流しつつ現実逃避しながら、明日から別のミーティングでやってくるベトナム保健省スタッフの手助けで、彼らが発表する肝蛭症のプレゼン校正中。食品由来寄生虫はMy babyですから、俄然力入りやす!

いや~、それにしても『げげげの女房』たまらんなー。なんてったって、我が両親の故郷は水木しげるさんと同じ鳥取ですので、母が結婚して遠い遠い東京に旅立つのは、あんなんだったんだろうと、感情移入しながら見ております。じいちゃん、ばあちゃんも心配であっただろうに。小さい頃は、鳥取までの新幹線もないし(今もないけど)、特急電車の長旅で東京から鳥取まで帰ったもんです。

2010年11月1日月曜日

ハラレよりご報告。

再び出張でハラレ(ジンバブエ)に来ています。

ホテルの部屋からの眺め。窓がきちゃない・・・。あ、うちの窓よりましか。





昨日はホテルに着くや、どうしても体を動かしたい熱が高まって、スニーカー持ってこなかったんだけど(重いんだもの)、アフリカ人の同僚に笑われつつ、普段履きシューズのままホテルのジムに直行。そしたら、ランニングマシーンは壊れてるし、自転車マシーンも壊れてる...。それでも唯一生きていた山登りマシーンと、壊れた自転車マシーンを漕いで、筋力トレーニング機器を使って、一汗かきました。

ジュネーブに戻ったら、普段履きもできる(つまり出張に履いていける)ランニングシューズ買おー。

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ところで、なぜハラレから報告か、という疑問もありますが、実はだんなさんであるところのNamさんが、これまで大学院卒業後日本の某大学でポスドクしていたのですが、幸運にもスイスのETH(国立工科大学)の教員ポジションを得ることができまして、先週月曜からスイスに異動しております。アインシュタインの母校です。先日知ったんだけど、ETH、ノーベル賞受賞者の数、半端ないです。スイス、やるなぁ。

といっても、チューリッヒなので、ジュネーブから電車で3時間の距離ではありますが、時差なし!ですし、これまでの8年(?)の付き合いで一番近い距離なので、素晴らしい進歩であると言えるでしょう。週末会えるし、電話でいつでもしゃべれます。

なによりも、彼にとっても非常にチャレンジングなポジションなので、本人がわくわくしていて、嬉しい限りです。私より安定した雇用体系だし・・・(苦笑)。

真面目に頑張ってれば、神様がご褒美くれるもんだなぁ、と実感する今日この頃です。

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今日は、明日から始まるワークショップの準備で、アフリカチームのメンバーはみんなお馴染なので、ちょっと気楽です。現在コンゴに赴任中のS先生(我が部局のアフリカの地域・国事務所で唯一の日本人)なんか、最近会議が多いせいか、2週間おきに会ってるくらいです。先々週はジュネーブで一緒に寿司食べました。また2週間後にも会う予定。

今日の目標はプレゼンと、開発中のアフリカ用プログラム予算見積もりツール完成。ではでは。

2010年10月20日水曜日

セネガル回顧録。

ダカールから戻ってあっという間に2週間がたちました。帰国するや否や会議の嵐。特にはじめの1週間は、色々あってこれまでで1番ストレスを感じた1週間でしたが(ストレスのあまり、先週の土曜日は、買い物欲の全く沸かないこのジュネーブで、買い物しまくってしまったよ、汗)、大変勉強にもなりました。

途中やることがありすぎて、うおーっ!と心の中で叫んだこともあったり、なかったり。でも、めんどくさいっ、できんっ!と放らずに(小心者ゆえに放れない・・・)、こつこつやっといたおかげで、嵐が去った今週は、会議諸々もなんとか成功し、やっと一息できています。

今週末はだらだらするのだ!と宣言。

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ダカールの話に戻ります。

1.ダカールは大変美味しい町でした。日本人にはたまらんです。

生&炙りウニ!生牡蠣もあるんだって(旬じゃなかったから食べれなかったけど)。



シジミ的なもの。アワビ串焼きもたらふく食べました(写真忘れた)。



なんでも、牡蠣などの養殖は、日本の海外協力隊が技術移転(?)して、現地ビジネス化に繋げたらしい。セネガルは、お米もJICAがネリカ米の生産をサポートしているそうで、お米も大変美味しいのでした。JICA、いいことやってるじゃないの、と食を通じて感謝。

感動の手巻き寿司(泣)。会議でお会いして大変お世話になったJICAのHさんの御宅にて。一期一会です。



ちなみにこれがダカールの代表料理チェブジェン。魚・野菜の炊込みご飯。日本の炊込みご飯と変らんです。とっても美味しいです。これは同僚宅にて。



他にも、ホテルの横に『ダカール寿司』という現地人さんが握るすし屋があって、これまた美味でした。海の無いスイスから来た子には、新鮮な魚のあるセネガルは夢の地でした。もう、セネガル、赴任したい!(でも、現地事務所には大変優秀な現地スタッフがいるので、叶わぬ夢です、笑)。

2. 週末の空いた時間を使って少しだけ観光しました。

ダカール沖3kmに浮かぶゴレ島。

ちょうど水泳大会やっていた。ダカール人は本当にスポーツが好きやね。





ここは、15世紀以降奴隷貿易の奴隷積み出し港となった場所。「奴隷の家」と呼ばれる、西アフリカ諸国から奴隷として連行されたアフリカ人が収容されていた建物があります。ここから「売り手」がついた奴隷たちは船積みされて各国へ運ばれ、体力がなかったり、反抗したり、妊娠したりして「売れない」奴隷たちは海に投げ込まれ、サメに食べられたそうです。サメに食べられた奴隷、数百万人との記録。





こんな部屋に何十人もぎゅう詰め。もちろんトイレなし。



ここから船かサメへ。



人間って本当に恐ろしい生き物だ(怒)。

ダカールから少し離れた「ピンクレイク」という塩田湖にも行きました。時期によっては、湖が本当にピンク色に見えるらしいのですが、雨季だったため、ピンクじゃなかった(泣)。





道中の市場。



道中で果物を購入する同僚たち。



そんなこんなで、忙しくも楽しく充実したセネガル出張でした。まだまだ宿題が残っているので頑張ります。