2011年8月30日火曜日

今日の心温まったフランス人的哲学。

うちの部局は、大まかに言うと、2つのチームに分かれています。今日はちょっとした仕事で、自分のチームとは別のチームにお邪魔していました。すると、そのチームの一番偉い人(コーディネーターと呼ばれる)が通りかかり、私がいるのを珍しがってか、遊びにきました。

ちなみに彼はフランス人。仕事ができ、将来のVisionを持ってチームをうまくリードして、どんどんドナーからお金も取ってくる。

一緒に作業していた同僚が

「Jean(コーディネーター)、僕、この夏はまだ夏休みを取ってないから、9月にちょっと取りたいと思うんだけど、いいかな。。。」

って伺いを立てました。

私 「え?夏休みとってないの?!」(そもそも、こちらの文化で夏休みを取らないっていうのは、ありえない。普通にみんな1ヶ月もいなくなる。日本人だと、なかなかそれができないんだけど。ただし、この同僚はブラジル人)。

すると、コーディネータ-が素敵なことを言った(なぜか私に向けて)。

「アヤ、家族も遊びもなく、毎日夜遅くまで仕事して、土曜も日曜も仕事しているとね、人間っていうのは

『自分が世界中の人々を助けている』、

『自分が世界を変えている』、

『自分がいなければ、世の中は回らない。何も動かない。』

って勘違いをし始めるんだ。それは、とっても危険なことなんだ。だって、1人の人間が世界を変えることなんてできないんだから。おまえだけが重要だと思ったら、大間違いなんだ。

外を見てみなよ。世界には、面白いこと、美しいことが溢れてる。だから、仕事ばっかりしないで、家族と一緒に過ごして、人生を楽しみながら、仕事をしなくちゃいけないよ。」



全然仕事しない人、怠けてばかりの人が言ったら、「おまえ、もっと責任もって仕事せーや ( ̄ヘ ̄;)」って突っ込んでしまうところですが(苦笑)、仕事をしっかりして、成果もどんどんだしている彼が言うのを聞いて、なんだか、心がすーっと晴れていきました。

ほんとだ、そうかもしれない。

いいこと聞いた。でも、この言葉、Likezoの死があったからこそ、彼の口から出てきたんだろうな。


2011年8月26日金曜日

頑張らない。

日曜日の夜にジュネーブに戻り、今週月曜からオフィスに復帰しています。

今回の日本滞在は2週間心から満喫しました。暑くてお腹はあんまり減らなかったけれど、とにかく2週間仕事はほとんどせず、テレビを見たり、山を歩いたり、買い物したり、だらだらしたり、友達とおしゃべりしたり、本読んだり、通院したり(笑)。仕事脳を完全に休ませることができたと思います。行く前と後では気分が全然違うもの。

正直、ジュネーブには全然戻りたくなく(ホリデー前の数ヶ月の仕事地獄の悪夢が・・・)、高校時代から私を知る友人に「そんなこと言うの、これまでで初めてだね。いつもは、海外のほうがいい!っていう人なのに」と言われるくらいでした。ほんと、そうかもね。今回は日本の素晴らしさ、再発見しまくりでした。

だって、お店の接客でいらっとすることが一度もない!どころか、むしろ「いえいえ、そこまでしていただいて、すみません」とこっちが恐縮する親切さ!

ある朝、アマゾンで本を注文したら、その午後に着いた。そんな国、日本だけだよ!

みんなが「すみません」とやたら謝っている!電車の車掌さんも、レストランの店員さんもみんなみんな!「例え自分が間違ってても、それを認めるな」文化に生活する人間には大変新鮮で、日本って本当に素晴らしいと思いました。

ときに「日本人は謝りすぎなんだよ」ってネガティブに見る人が結構いますが、いいじゃない。自分がそれをよしとしていて、なおかつ、こちらも、相手にけんか腰で来られるよりもずっと良い気分で、むしろ「こっちもすみません」って謝って、問題解決しちゃったりして、最高じゃん?

日本、変だけど、素晴らしいよね。みんなで大切にしたい、天然記念物的国民性だと思います。

実は今回、日本滞在中に、眼の玉に金属片突き刺さり事件以上にショッキングで、私の人生を変えるかもしれない出来事がありました。

大変近しく、職場で最も尊敬して止まなかった大好きな同僚が・・・過労死しました。
彼女は、アフリカ事務所でNTD対策を1人で切り盛りしている、と言っても過言ではない存在で、とにかく1人で一身に全てを背負っていました。ザンビア人なんだけど、イギリスで博士号まで取得して、とても頭が切れるだけでなく、ユーモアにあふれ、各国保健省の政府への敬意を常に忘れず、いつも謙虚で。

要請を受けて、私が地域事務所のサポートを初めて以来、気性が合ったのか、とても仲良くなって。とにかく、その仕事ぶりと人柄に私はとても惹かれ、「次に上司を選べるとしたら、絶対にこの人だ」と信じて疑わず、彼女からも「aYaが来てくれて、どれだけ私が助かっているか。ぜひうちの事務所に出向して、わたしの仕事を手伝って。このままでは私の身が持たないよ。もっても、あと4,5年かな。こんな生活、それ以上は続けられないわよ」と何度も言われていて、いつか必ず実現させようと思っていた。思い立ったら、すぐに実行させないとだめだ。

出張で一緒になっては、おうちに呼んでもらったり、息子くんに観光に連れて行ってもらったり、ホテルのバーで2人で飲んだり。毎日メールのやり取りはかかさず、まるで隣のオフィスにいるかのように、ほぼ毎日電話でもやりあって、一緒に仕事してた。とても暖かい人で、かつ信念をもって仕事をしている人だった。

彼女は子供のように笑う人で、彼女の笑いのつぼを押さえてからは、わたしは、彼女を冗談で笑わせるのが日課になっていたし、それが大好きだった。

いつもは21時に寝て、朝5時に起きる、みたいな生活をしている人なんだけど、出張で私が23時に到着、なんてときも必ず私がホテルの部屋に到着するまで起きて見届けて、「aYaになにかあったら、私の責任!」って本当に可愛がってもらった。

彼女が突然あの世に立つ数日前(それは、私が日本に発つ数日前でもある)にも電話で、ホリデー中の仕事の割り振りを確認したところ。

それが、私が日本に発った朝、彼女は眼を覚まさなかったらしい。

おじいちゃんの初盆で日本に戻っていたのに、初盆の朝にそのニュースをメールで読んで(ジュネーブから電話もあったし)、ショックで、おじいちゃんのことは頭から吹っ飛んだ。初盆の間も彼女のことばかり考えてしまった。

わたしが、本部の意向を振り切って、地域事務所へ行って彼女を少しでも早く助けてあげていたら。

1ヶ月前に彼女がジュネーブに出張で来たときに、頭が痛い、というから、クリニックに連れて行ったのも私だった。あのとき、頭痛、で済ませずにちゃんとチェックを受けていたら(ちなみに、そのとき彼女は、初めて旦那さんを連れてきていたので「ハネムーンだね、ひゅーひゅー」ってからかった。それが最後の夫婦旅行になるなんて、許せん)。
後悔、後悔。その後、2週間は仕事をする気に全くならず。

オフィスに戻ってみたら、なんとなくチームの様子が変わってた。死んだら仕方ない。明日はわが身、ってみんなが気づいたみたい。いつも猛烈に仕事をふってくる先輩も、スローダウンしてる。いつ何があってもいいように、って、オフィスのファイル整理もしてた。普段は「頑張って」が合言葉なのに、昨日は「先生、頑張りすぎたら、だめです」って言ってしまった。すごい変化。

そんな私も、生きかた、仕事の仕方、選び方、色々考えさせられた。

もうちょっと頑張らないで生きようと思いました。死んだら、まじでしょうがない。死んだら、全てが終りです。死んだら、残された人はどうやって穴埋めしたらいいのか。彼女には、精神障害のある娘さんもいる。年老いたお母さんもいる。誰が面倒みるのか。

実は日本に帰ったとき、私より6歳年下にも関わらず、数年前に過労で脳梗塞を起こした友人と飲んだ。人間、まじで何があるか分からんぜよ。みくびっちゃいかん。頭痛を軽視しちゃいかん。

そんなわけで、今週は今のところ、毎日19時には家に戻るようにし、さらに時差をフル活用して、21時就寝、5時起床の健康生活を送っています(まだ4日目だけど)。ずっと続けたいけど、既に金曜夜にご飯に呼ばれているから、そこまでかな。

Likezo、忘れないよ。You are my hero, forever.

2011年8月16日火曜日

日本で一休み。のはずが、目の玉が・・・。

今年4月に亡くなった祖父の初盆に参席するために、2週間お休みをとって、ナムと日本に帰って来ています。

木曜日にジュネーブを発ち、金曜日の朝に東京に到着。実家でシャワーを浴びて、弟も一緒にラーメン食べて、その夜の夜行バスで、両親の故郷である鳥取へ。翌朝6時に鳥取に着くと、そのまま両親の泊まっているホテルへ行き(親戚がたくさん来ていたため、我らは今回ホテル滞在)、500円の朝食ブッフェ温泉付き(すごいぜ、安いぜ、にっぽん!)、を堪能し、父の実家で初盆に参加。

その午後には、叔父が最近建てた別荘に遊びに行き、翌日は母方の実家でに墓参りして、従兄弟の赤ちゃんと会ったり。翌々日は再び父方の墓参り。そして、東京へ。

今回は、なにせ、昨今お疲れでストレスが溜まりに溜まっているわたくしなので、とにかく休みたい!という大目的を達成すべく、早々と両親の住む那須に行ってダラダラする予定だったのですが、アクシデントが発生しました。

東京に戻った翌日。突然左目がすごい充血。目の奥にずきんと痛みもあり。

翌朝もまだ痛いので、目の中を鏡で見てみると、なんか黒目のはじっこに小さなコブができてる・・・・。

急いで大きな病院へ行きました。そしたら先生、

「あらぁ、金属片が刺さってますね。」

・・・え?

「これは、救急車で来てもらわないと。このままにしておくと、金属片が少しずつ中に入っていって、するともう取れなくなっちゃうの。で、錆びると失明することもあるから。」

・・・え?

ちなみに、いつ、どこで、なにが刺さったのか、全く覚えはございません。

これにより通院が始まりまして。しかも、目が痛いため、あまり動けない。

さらに結局その先生では金属片が取りきれず、別のお医者を紹介してもらうことに。

「マイクロドリルっていうのを持っている先生がいて、そのドリルだと、だいぶ深くまで掘ることができるから、紹介しますね。」

・・・ドリル・・・掘る・・・目ん玉ですがね。こわ。

で、結局昨日、目ん玉をドリルで掘ってもらい、無事金属片は除去されました。よかった。

ちなみに、麻酔(目薬風の)が効いていたので、痛みはゼロでした。全部見えてるので、ものすごい怖くって、歯ががくがくしていましたが、5分で終わりましたし。

今から考えると、こんなにももろい「目の玉」が体の外に無防備に出ている、という事実が怖いので、急遽ユニクロで伊達メガネを購入し、外敵からシャットアウトしております。

結局那須には、ドリルの後に眼帯したまま電車でやってきました。ただいま、ドリルで空いた目ん玉の穴ぼこを自然修復中。こわ。

それにしても、あんなドリルを開発して、目の玉はここまで掘っても失明しない、ということを研究し、証明した人がいることがすごい。世の中、確実に発展していると思われます。

そして、刺さったのが黒目の端っこで本当によかった。真ん中だったら、私はいま、左目失明しています。眼帯して1日片目生活してみましたが、遠近感を失って、切符を買うボタンは一撃で押せないし、看護婦さんが出してくれたレシート類を掴めずに、つっついて床にぶちまけてしまうし、疲れて本を読む気にもパソコン開く気にもならないし、大変困難な生活でした。

目、大切にしましょうね。

ローマ徒然。

おかげさまでミラノで厄が落ちたらしく、ローマでは無事ホテルはちゃんとホテルでしたし、蚊の大群による襲撃もなく、平穏無事な2日間の旅を送ることができました。

それにしても、マラリア蔓延国に行くときには蚊避けスプレーと蚊帳持参で万全の対策を期しているのですが、まさかイタリアでも要スプレーだったとは・・・不覚でありました。眠れない夜にベッドの上で、

「たとえマラリアやフィラリアに感染しなくても、虫刺されの痒みと、ぶんぶんいう羽音で一晩中眠れないことによる健康被害は精神的ストレスも含めて多大だし、翌日の生産性も下がるし、これが一生続くと寿命も下がるかもしれないし、蚊対策についてもっと真剣にやらなきゃいかん、むにゃむにゃ」

とか考えて、余計眠れませんでした。まじで深刻な問題ですよ、ミラノ市政府、お願いしますよ(ミラノ在住経験のある同僚によれば、「いつも、蚊が増え出す前に町中のスプレー散布が予定されてるんだけど、毎年遅ては蚊が大量発生してるんだよね」って、あんたら、途上国かい)。


それにしても、ローマというのは、町じゅうがまるで博物館。


トレビの泉。古代ローマ時代に皇帝が作らせた水道施設の終端。大きすぎて全容を写真に収めることができないくらいの迫力に感動しました。この周りに中国・韓国の方々を中心とする大量の観光客がありんこのように群がっていました。



映画『ローマの休日』でおなじみのスペイン階段。ここにも大量のアジア系観光客がありんこのように群がっていました。とりあえず、猛暑の中、オードリー・ヘプバーンをまねてジェラートを食べておきました。



コロッセオ。ローマ帝政期に皇帝が作らせた円形闘技場。これが街中にどかんとあります。この中で、Gladiatorの世界が繰り広げられていたわけです(下の写真の真ん中が戦いの場だった)。ここで、たくさんの奴隷たちが殺し合いをして、それを人間が鑑賞してた・・・いつの世も人間は残酷な生き物であるよ。





パンテオン。初代ローマ皇帝の側近によって作られた神殿。
これも大きすぎて写真に全容を収めることは出来なかったのですが、一番重要な内部をナム撮影のビデオから。
大理石の綺麗なドームになっているんだけど、技術もまだ発達していなかったであろう時代に、どうやってこんなに精巧に石をつなぎ合わせてドームを作れたのか。さらに驚くべきは、ドームの頂点に空いた丸い穴から日光が入って、内部を美しく照らし出すんだけれど、時間や季節によって、照らし出される場所が刻一刻と移り変わり、しかも最近の研究により、ちょうど毎年王様が特別な儀式でパンテオンに現れる時間にちょうど入り口を日光のスポットライトが照らし出す様に計画して設計されているのではないか、と言われているのです(先日BBCで言ってた)。そんなん、ありえます?感動で言葉を失うとはこのことです。




サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の『真実の口』に手を差し込んで、わたくしが正直者であることが証明されたところ(到着したら、既に閉まっていたので、外から対処した)。



バチカン公国の前に、たたずむわたし。



古代ローマの錚々たる建築物を見て思うことは・・・

建築技術も設備も運搬技術も資金も限られたその時代に、人材を最大の資材として、何百トンもするであろう巨大な石を遥々何百キロも運んで、これだけ緻密に設計され建築物を作ってしまう一方で、お金も技術も豊富にありながら、いまだに制圧できない病気が世の中にはたくさんあるこの皮肉。例えば、衛生設備、つまりトイレと水道設備がしっかり整えばなくなる病気はたくさんあるのに、それができない国がまだまだたくさんある。結局、人間を動かす最大の力は、自己顕示欲なんだね。

でも、それで人が動いてくれるなら、それを利用したらいい。

なんてこと。

でも、こんなに見所満載な街が国の至る所にあるイタリアって、すごいよね。まだまだ、フィレンツェもあるし、ベネチアもあるし、シシリー島もあるし、ボローニャもピサも・・・交通ルールも政治もグチャグチャに見えるけど、なんだかすごいぞ、イタリア。また来ます。

2011年8月11日木曜日

ミラノ珍道中。

またまたご無沙汰しております。

「この山を越えたら、来週はちょっとゆっくりできるぞ~」と自分に言い聞かせて山を越えては、翌週には次の山が現れる、の繰り返しで、しかも、同時にいくつものプロジェクトが進行して、忙殺されまくった6月。

そして勝手に「7月はいろんな人が夏休みをとり始めるから、ちょっと暇になるに違いない」と勘違いして、夜の集中フランス語講座などに登録して、ますます墓穴をほった7月。

終いには、疲れすぎて食欲なし子で、夕飯にアイスクリームなんか食べちゃって(むかし、母が、食欲がなくて何にも食べれないときは、アイスクリーム食べなさい、と言ったとか、言ってないとか)。

そして今、実は夏休みをとって日本に帰ってきているのですが、さきに、先々週のアホ話を。。。

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ストレスが溜まりに溜まって、これはいかん!というタイミングに、3連休があったので、急遽休日前の急遽木曜にミラノ行き特急電車のチケットを予約し、金曜の午後休をとって、電車に飛び乗り、イタリアへ逃避行しました。

ナムはチューリッヒから別の径路・国境を通ってミラノに到達するため、待ち合わせはミラノのドーモ(巨大な教会)の前に夜19時。こういうとロマンチックなようですが!その前日までいつものごとく喧嘩しながら旅程を決めてましたから、全然そんなんじゃないんです。。。( ̄-  ̄ )

さて、私の到着が17時半で、ナムは到着18時50分なので、仕方なく2時間1人でぷらぷらしてよう、と思っていたら(ちなみに私は1人でぷらぷらするのが、そもそも好きではない)、途中で携帯にナムからメッセージが。

「電車に乗り遅れたので、到着は21時になります・・・。ごめん・・・。」

「えっ?(怒)」

がっびーん。ミラノといえば、ショッピング。なんでしょうが、私はあまり買い物は好きではなく、しかも、翌週末には日本に一時帰国しようというわたし。買い物欲ゼロ。なおかつ、既に疲れきっているので、これから1人で4時間歩き回るかと思うと、がっくし。案の定、途中で疲れて、公園のベンチに座って、持ってきた仕事してました(だめ子)。

そして、やっとのやっとナムが到着(21時半)。こちらは既に足が棒。

ナムはミラノ2回目なんだけれど(前回は私の友人とサッカーの試合見に来てる)、そのときに「ニューズウェークに載った有名なパスタ屋さんがあって、そこのリングイニは絶品である」と別の友人Mさんから聞いていて、実際に食べたらまさに絶品だったというので、

「どうしても私もそこに行きたい!」

ということで、ナムの記憶を辿って歩く、歩く。でも、「たしか、こっち」という言葉を信じて歩けど歩けど、店がない。わたしは既に両足裏に豆。疲労困憊して、喧嘩しながら歩いた末に見つけた、電気の消えた店を指してナム

「あ、たぶん、あの店・・・。閉まってるね・・・。」

「。。。(怒)」

もう仕方ないので、念のために同僚に聞いておいた、ドーモからタクシーで5分行ったところにあるお勧めレストラン地帯、へ行くことに。しかし、夜道に空車タクシーが全然見つからず。「せめてドーモに戻ろう」とまたぶーぶー言いながら歩いて歩いて歩いて・・・・すると突然ナムが

「あ!あの店だ!あの店に違いない!Pizzeriaって書いてあるもん!」

「・・・いや、Pizzeriaってピザ屋って意味だから、どこのレストランにも書いてあるんだけど ・・・( ̄  ̄;) 」

「いや、絶対あの店だ!」

何せもう疲労困憊なので、半信半疑のまま、ナムについてお店に入ることに。そしてメニューを広げると、友人お勧めだった魚介のリングイニがそこに!オーダーしてみると、友人の描写そのまま!(お皿丸ごとがすっぽりパン生地で蓋されていて、そのままオーブンで焼かれて出てくる。パンの蓋をあけると魚介がいっぱい) もちろん味は超!!!!美味でした。

あまりに美味しくて、その後レストランというレストランでほぼ毎回リングイニを注文していた私でした(途中で2回ほど浮気して別のもの頼んだけれど、「やっぱリングイニだね♪」という結論に戻る単純夫婦)。

さて、アホ話はまだ続きます。

無事美味しい夕飯を食べて、次に目指すはホテル。ちなみに、事前に申しておくと、いつも旅行のときは、私がだいたいホテルもチケットも予約するんですが(ナムに任せて気に入らないのを予約されるのが嫌)、今回はあまりに忙しかったので「たまにはナムが全部手配してよ~」とお願いして、ナムが慣れないままにホテルを予約しといてくれのたでした(事前情報)。

で、着くと、それはホテルではなく、ユースでもなく、若者たちがたくさん部屋をシェアしているフラットで、その一部屋を恐らくホリデーに行ってる間貸してくれるというものらしい。よって、

-台所も共有(しかも、水もグラスも全然ない)
-シャワー・風呂も共有(大量のシャンプー類が乱雑されていて、洗濯物がたくさん乾してある)
-部屋のドアはちゃんと閉まらず(しかも台所に面しているので、やたら人が通る)
-部屋の鍵もなく
-部屋にあるのはベッドだけ

極めつけは・・・蒸し暑いので窓を開けて寝るんだけれど、すると超大量の蚊が!もちろん窓には網戸なし。結局その晩は蚊との戦いで、睡眠ゼロ。全身100個くらい刺され(うち6,7個は顔。蚊がぶんぶん煩いので、シーツに包まって寝て、息するために顔のところに穴空けてたら、そこを直撃されていた  ̄-  ̄ ))、撃沈。

朝5時に「もうだめ!こんなところにいる意味ない!ローマ行こう、ローマ。」ということになって、そのままローマに向かったのでした。

・・・ミラノ、見てないやん。

見たの、これだけ~(ドーモ)。



ミラノ旅行記でした。