2009年10月27日火曜日

別れのとき

本来の予定では、イタリア人医師夫婦は12月までPemba赴任で、もちろん私が先に帰国するはずでした。

それが、突然だんなさんStephanoの母上、御歳98歳、が危篤との連絡がイタリアから届き、急遽チケットを変更し、日曜日、2人はイタリアへ旅立たれました。

あぁ、別れはいつも辛いね(泣)。特にStephanoとLuchana(奥さん)は、本当にホストペアレントのように可愛がってくれて、朝夕毎日私の分まで料理してくれて、週末は一緒に買い物行って。他のイタリア人たちはついついイタリア語だけで会話を続けそうになるところを、2人はいつも私を気遣って、Luchanaなんか英語つたないのに、必ずいつも英語で頑張って話してくれて。別れの前日には、3人で、Stephanoに支給されてる超年代ものランドローバーで最後のお出かけしたのが、とっても良い思い出になりました。



PembaにPUJINI RUINという遺跡があって。ほんとにちっちゃな遺跡で、そこにたどり着くまでの道は激しくガタガタボコボコで、時にランドローバーが転倒しそうになるくらいだったんだけど、でも、途中の村々の人々がみんな親切かつ気さくで、挨拶を交わしまくりながら(本当に、道行く人全員が「Hello! Jumbo!」と声かけてくる)道を進んで。





でも、時に修復の仕方に問題あるよね・・・。なんか、どっかのチンケなアミューズメントパークみたいだよぉ(号泣)。



ちなみにこの遺跡は、15世紀にペルシャ人がPembaにわたって、小さな王国的なものを築いたときのもので、その後ポルトガル人がやってきて、ペルシャ人の王様はPembaから逃げていったんだけれど、でも当時の名残は、遺跡周辺の村々の住人の顔にはっきり見られます。明らかに黒人ではなく、アラブ・中東系。思わず自分はアフガニスタンかイランか何かにいるのか、と勘違いするくらい。当時のPembaは、アラブ、インド、極東からも人々が貿易のために旅してくる島で、とってもコスモポリタンだったそう。いまでいうNYとでも言いましょうか?

2009年10月26日月曜日

To give or not to give?

お世話になっているイタリア人グループのお友達という方が、「貧しいアフリカの(Pembaの)子供たちに」と、子供靴を送ってきました。問題はその数。合計4つ。しかも全てバットマンの絵柄のついた男の子用。なぜ~。

「貧しい子供を助けたい」うん、その気持ちはよく分かる。しかし、これが現場で混乱の元となるのよ、とほほ。

今回私たちが出向いている小学校は全部で3つ。駆虫して回っている子供たち、各学校100人。つまり合計300人。そして男の子用の靴4つ。

靴を送った人の希望は「一番貧しい子供4人に」って、おいおい、どうやって貧しさに順位つけんのよ。スタッフ間で議論が飛び交います。「靴を履いてない子」「サンダルが一番汚い、或いは壊れている子」「洋服が一番ぼろぼろな子」・・・そんな外見だけで選べません。残念ながら、生徒ほぼ全員該当者ですし。

また、一歩譲って、一番貧しそうな子供を選んだとしよう。そこで靴をもらえなかった子たちともらった子の間に必ず生まれるであろう嫉妬、いじめ、悲しみ、・・・。結局は、4つのきれいな靴は、子供たちをHappyにするどころか、もらった子ももらわなかった子もどちらをも辛い気持ちにさせて終わるのが目に見えちゃう。

さらに教育的知見からも「一番貧しそうに見える子には、誰かが恵んでくれるのは当然」という意識が子供のときから植え付けられるのは危険。現にアフリカの多くの国が「援助慣れ」してしまって、もはや自分たちで努力することを忘れて援助に頼りっきりになってしまっている感があるのは有名な話。研修コース参加中にも、アフリカからの参加者との議論で何度も白熱した論点。ま、これについては、語りだすときりがないので、また今度。

なにはともあれ、今回は、本来はAll or nothing、全員に平等に配れないなら、むしろ誰にも配らないほうが良い、という意見が多かったものの、「靴を子供たちにプレゼントする」と約束してしまった側の責任もあり、それなら運動会とか試験とかの機会に「よく頑張った子が、賞金として靴をもらえる」という形にしたら良い、という意見が出、しかしそんな機会はないと現地スタッフは引き気味で、最終的に現地スタッフが、なぞなぞみたいなクイズを適当なクラスに出して、クイズに正解した子に配ることにしてしまった。

で、最後のクイズに3人が残り、残る1問で2人を決めることに。その最終問題がまた、現場にいた私を指差して

「このお姉さんはどこの国から来たでしょう」(あたしか!)。

しかも答えが、1人は正解(日本)、1人はインド(!)、もう1人はダルエスサラーム(!!しかも国じゃないし)。

で、それまでのクイズ正解数と合計して、3人のうち2人が靴を受け取ったのでした。

あぁ、靴を受け取れなかった最後の女の子の、今にも泣き出しそうな顔・・・。この理不尽さに憤りを感じずにはいられず、思わず議論してしまったけど、しかし、人によって考えは違うもんで、議論してもきりがなく。

開発援助に必ずついて回るこのbig issueについて、色々考えちゃいました。

ペンバグルメ

私の知る限り、Pembaにレストランやら食堂らしきものはありません。数少な~いホテルに泊まって注文すれば、料理してくれると聞いたけど、そもそも観光客の類を見たことはありませんし。

で、私が日々何を食べているかといいますと。Pemba料理はこんな感じ。主食は米。生野菜は、信頼できる場合のみ食べます。



トロピカルな気候ではありますが、東南アジアのように年中トロピカルフルーツが町中に溢れている、ということはなく、市場の品揃えは相当に低いです。今の時期だと、野菜はジャガイモ、キャベツ(時々)、にんじん、ほうれん草(的なもの)、玉ねぎ、ピーマン&チリ(的なもの。スワヒリ語でピリピリと言う。)、以上。フルーツはオレンジ(ジュース用の硬いやつ)、ザボン、バナナ、パパイヤ、SOURSOPという不思議なもの(酸っぱ甘くて、超うまい!)、以上。肉は牛肉。あと鶏肉、あらためニワトリが村の中を走り回ってます。ムスリム国なので豚はなし。でも、さすがの島国。魚はいろいろあります。辛うじて市場?マグロが最高です。





Soursop。中は真っ白で、黒くて鹿の糞的な種がぽちぽち。



あと、食パンがうまい。近所に小さなパン工場があって、兄ちゃんたちがせっせとパン焼いてます。

あと、チャパティーと呼ぶ(でもインドのチャパティーとはちと違う)、まるでイタリアのフォッカチャのようなパンも美味。



さらに、ローカルメイドのビスケットが、これまためちゃめちゃうまいです。どこの店(ちなみにPembaのお店は、みんな日本でいうタバコ屋みたいな雰囲気&大きさ)でも売ってるの。




でも、なにせイタリア人夫婦と同居の私、実はほぼ毎日イタリアン食べてます。パスタ、パスタ、時々米、みたいな。Pembaの地で、初めて“イタリアではパスタは主食じゃなくて前菜だっ”てことを知ったよ~。

2009年10月23日金曜日

KICHOCHOいっぱい

昨日はなかなかすごいサンプル見た。

普段は検便なんだけど、昨日は検尿。住血吸虫という寄生虫がいて、スワヒリ語でKICHOCHOっていうんだけど、簡単に言えば、その幼生がいる淡水の水(川とか湖とか)に触ると、皮膚を通して人間の体に進入してくる危険物で、これは便よりも尿に卵が出てくる。

下の湖は一例。うじゃうじゃいます。で、みんな、ここで洗濯して、体洗って。ちなみにみんな、住血吸虫の存在は知ってます。でも「危険だよ」って言ってもみんな口をそろえて「でも、私たちは一度も病気になったことないから、大丈夫。」って。んー、そうか、なら良いか・・・いやいや、良くない。



このカイの中で、幼生が感染形に変身します。




で、ある小学校に行って、適当に生徒10人集めて尿をもらってラボに戻り、検尿すると、うおー、卵いるいる。小学校の先生が「うちの学校の感染率は99.9%です!」と誇らしげに言うのを聞いて「そりゃ、さすがに言いすぎでしょー。しかも、そんな誇らしげに(苦笑)」と思ってたんだけど、10人中感染者5人、しかもheavy infection。

で、スライドガラスにのっけた尿サンプル(正確にはろ過したフィルター)に水を一滴たらすと、すごい!その卵たちが刺激されて、卵の中の物体がくるくる、すごいスピードでまるでUFOか何かのように回転を始めて、そのまま1分くらい顕微鏡を通して見続けてると、突然卵の殻から飛び出て、これまたすごいスピードで泳ぎだす!もはやスライドガラスの上がスイミングプールのようでした。うじゃうじゃ、あっちからもこっちからも、住血吸虫の幼生が泳ぎまくる。。。由々しき結果ではあるものの、正直感動して顕微鏡からしばらく離れられませんでした。



でも、この感染した子供たちのおしっこから、毎日毎日大量の卵が外界に排出されて、感染を広めていってると思うと・・・・あ~、がっくし。こりゃ、なんとかせにゃならん。

で、ステイ先に帰宅してイタリア人医師Stephanoに報告すると(毎日夕食の席で1日の報告をする)頭を抱えて「30年前からほとんど改善してない!なんでだ~」と嘆いておりました。正確には、多少は感染率下がったものの(当時は本当に99.9%)、5割がheavy infectionではなぁ。

2009年10月20日火曜日

ジェネレーターと猫のお引越し

私がステイしているPembaのお家には、ジェネレーターがありまして、停電の度に活躍してくれます。といっても、音がうるさいので、近所迷惑も考え、22時頃には消すんですが。

そのジェネレーターが置いてある小さな小屋に最近お腹の大きな猫ちゃんが住み着きまして、先週赤ちゃんを3匹産んだのです。父猫は不明。

そして、おとといの夜、停電。ジェネレーターはとにかく激しくうるさいので、猫ちゃんが心配。家の電気を取るか、猫一家の平穏を取るか・・・。試しにジェネレーターをつけてみると、母親猫ちゃん、恐れおののいて鳴き叫びます。まるで私たちに訴えかけるように。で、結局多数決3対0で、猫一家の平穏を取ることに。人間3人(私+イタリア人医師夫婦)はケロセンランプの元に夜を過ごしたのでした。

で、昨日再びの停電(苦笑)。さて、どうするか。住人3人+お手伝いの女の子1人+門番(80歳のおじいちゃん、苦笑)の計5人での話し合いの末、きっとジェネレーターがなり続けてたら、猫ちゃんたちは寝床を移すだろう、とのことで、ジェネレーターつけて待ってみること15分。案の定、恐れおののきながらも、勇敢な母猫は、赤ちゃん猫を一匹一匹口にくわえては、安全圏へ移動させ、我が家の台所横のスペースに見事引越しを果たしたのでした。で、一応敵から守るために、開いた段ボール箱を献上してみました。人間より動物のほうが賢い、これ世の常識。そして、母強し。赤ちゃんくわえたまま、確実に安全な寝床を見つけるまで、我が家の敷地内を真っ暗な中(私がずっと懐中電灯かざしてましたけど)長いことうろうろしてました。それにしても、30分、5人で猫一家を囲んで、全員懐中電灯やらケロセンランプやら抱えてあたふたして、一大事でありました。

今夜は電気あるといいな~。

2009年10月16日金曜日

ひたすら

Ungujaでの週末ホリデーからPembaに戻ってきた私が日々何をしているかというと、様々な小学校を訪れては、便サンプルを集めて駆虫剤を配り、ラボに戻ってはひたすら顕微鏡を通してうんちを観察する毎日です。そう、そもそものPemba訪問の目的は、研修コース参加よりもこちら。土壌を通して感染する蠕虫3種がうじゃうじゃいるので、検便練習するにはうってつけ。卵を数えたり、孵化させたり。



今週は、イタリア人学生が、こちらの地元スタッフと一緒に、「某研究グループが開発した検便テクニックを、これまでWHOが推奨してきたテクニックと比べる」という調査を行っていて、そこにジョインしています。


子供たちが可愛すぎ。つぶらな瞳に、みんなクルリン睫毛。真っ黒の顔で、白いスカーフで顔だけ出している様子は、言っちゃなんだが、『モノノケ姫』に出てきた何かのよう・・・(笑)。ボタンが全部なくなって、シャツの前をピンで留めている子がいたり、右と左違うサンダル履いてる子がいたり、持ってきた便サンプルの量が少ないから「また明日持ってきて」と返すと泣き出す子がいたり(指示した量の便を持ってきた子には全員ビスケットをプレゼントするんだけど、ビスケット渡したら泣きやんだ、笑)。面白いです。





ときに、明らかに虫でお腹がパンパンに膨らんだ子がいて。あ~、君に駆虫剤を渡せるこの喜び(?)。どうせすぐ再感染しちゃうんだけどね。


やんちゃ坊主たちが持ってきた手作りサッカーボール

2009年10月15日木曜日

みんなとの最後の晩餐@ザンジバル本島

本島というのは、あまり正しくないUngujaの呼び名なんだけど、ザンジバル政府の主要機関が全てUngujaにある、という意味では本島といってもおかしくない、ってことで。

2週間の熱帯病管理コースが終わり、コース参加者は全員Ungujaで1泊(数人はUngujaに数泊)してから、それぞれの国へ帰国することになっていて、私はその後もPembaに残るわけですが、最後の夜をみんなと過ごすために、一緒にUngujaまで2泊の週末旅行へ出かけました。

人生最小のフライト、10人乗りで・・・。パイロット1人。隣の操縦席には乗客・・・。



「座席の後ろのポケットにライフジャケットが入っています」
入ってないし。




そして、操縦席にコカコーラ。




Ungujaは、Pembaと同じ国とは思えないくらい活気のある町でした。敬虔なイスラム教徒ばかりが住み、よって酒もたばこも街中ではなかなか拝見できず、レストランは皆無、観光客も皆無で、タンクトップや短パンでは決して町を歩けないPembaとは違い、Ungujaはまるで欧米の観光地。白人観光客があふれ、イタリアンレストランがいっぱいあり(なぜかザンジバルにはイタリア人が多い)、道を歩けばお土産売りやタクシー運ちゃんが客引きの声をかけてくる。でも、UngujaとPembaの両方に共通するのは、町の人の良さ。インドなんかの激しくしつこい客引きと比べ、こちらの客引きはみな、とっても控えめ。むしろ微笑ましくなるくらい良心的(笑)。何の見返りも求めずに、町中をガイドしてくれた青年すらいます。

2週間の密着生活でもはや家族のように仲良くなった私たちは、最後の夜は明け方までみんなで浜辺のイタリアンレストラン&バーで飲んで踊って語らって、翌日もぴったりくっついて過ごして、最後の別れは涙涙でした。今回出会った仲間たちはみんな、聡明かつ暖かく明るく愉快な子ばかりで、本当に全員大好きでした。ヨーロッパのみんなとは近々の再会を祈って。アフリカ各国へ戻るみんなには、必ず各国を訪問することを誓って。

2009年10月12日月曜日

青い海とスルメ

ちょっと古いけど、先週末の話。プログラム1週間目が終わった週末。

土曜はみんなでお弁当持って、Pembaの北へ車で1時間半ほどガタガタ道を走った所にあるNgezi Nature Reserve(熱帯雨林)とその奥に広がるビーチへ。あ~青い海、白い砂浜。十数年ぶりに真剣にバレーボールして右腕に青あざをつくり、浜辺を散歩して、ひたすら泳いで、お昼寝して、くらげを観察して(ここのくらげは触っても被害なし)。





タンザニア人医師ジェームス、タコ収獲。





さらに日曜には、小さなエンジンボートで1時間あまり行ったところにあるMisali Islandへ。

こんなんで行く。途中でエンジン3回ほど止まり、その度にみんなで「別れの言葉」をビデオ録画する。



Misali Islandは、1500年前にでっかいさんご礁の塊が海から飛び出てできた無人島。たくさんのさんご礁や海産魚が生息することから、1996年にPembaで初めての海洋保護区に制定されて、今ではレンジャーが島を守り、小額の入島料が島の保護に使われてます。保護エリアでは漁業も禁止。

レストランもカフェもなんにもないので(お昼寝用のベンチはある)、弁当持参は必須。みんなで島を探検し(島の真ん中はジャングル)幽霊がいるという洞窟を見て、未婚者は素敵な出会いを祈り、島の周りをスノーケリングして回って、ベンチでお昼寝して。久々に日焼けして、運動して、エネルギー充電した週末でした。








ジャングルの中に、漁民たちが潜む村(?)があり、魚の干物を作ってました。まさに、アジの開きとスルメ。どこも人間やることは一緒。

2009年10月8日木曜日

水と電気

研修参加者の出身国は、モザンビーク、ケニア、スーダン、エチオピア、ウガンダ、マラウィー、ブルキナファソ、タンザニア、イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、イギリス、アメリカと様々。そして唯一アジア人な私。職業はお医者さんだったり、研究者だったり、Public Health Specialistだったり。2週間平日も週末も朝起きてから夜寝るまでずーっと一緒の生活なので、すぐにみんな仲良しに。授業中は激しくディスカッション。


研修プログラムの中に、グループに分かれて、Sub-Sahala Africaが実際に直面している問題を取り上げて、それにtackleするための企画を出し、プロポーザルを書く、というのがあります。うちのグループは、モザンビークの若手医師君が実際に直面している問題。

モザンビークのHIV感染率は約30%。そのうち、HIVに感染した子供たちが下痢を起こして死亡するケースが非常に多い。

原因の1つはまず安全な水がないこと。唯一の水源は住居から30キロ離れた河川のみ。みな、泥水をそのまま飲んでる。

もう1つはコミュニティー内にトイレがないこと。みな、そこかしこで用を足し、水もティッシュもないので、そこいらへんに生えている草でお尻を拭いて終わり。そこに蠅がたかり、その蠅が住居へ。もちろん手を洗う水もない。

なにせ、人々が1箇所に固まらず、5, 6軒の世帯が1つの村落をつくり、それが数キロおきに点在しているような状態。インフラをつくりにくい・・・。

水の煮沸をすすめようにも、日々食べるのに精一杯な状況なので、煮沸に燃料をさけない。

そして識字率50%以下。なかなか情報が浸透しない。

さあ、どうする。そんな地で必要なのは、医者よりも薬よりも電気よりも『安全な水』と『トイレ』。


かつてのインド生活でもそうでしたが、PembaでのSimpleな生活を通して再認識するのは、人間の命にとって最も大切なリソースである『水』の重み。生活の質の向上のために次に大切なのは『電気』。先進国からもってきた贅沢品(PCやらドライヤーやらヒーターやらテレビやら)のほとんどは、電気がなければ使い物になりませぬ。でも、電気なくても死なないけど、安全な水の不足は『死』をも意味しうる。ちなみに、水と電気が1日1度は来き、研究所ではインターネットが使える現在のPemba生活は、贅沢ともいえ、正直不自由を感じることはそれほどありません。

んー、やるべきことはいっぱいあるね。このPemba生活、私の人生に少なからぬ影響を与えている模様です。

ところで、岡山のこんなバスがPembaの地で、研究所の大型バスとして使われているとは、誰が想像したでしょう。毎日このバスに送られて島を移動しています。望郷の念。

2009年10月5日月曜日

ペンバな生活

ザンジバルは、欧米人にはかの有名なリゾート地Unguja島と、タンザニア政府から半分忘れられ、観光客はほとんど来ない田舎町(?)Pemba島の2つから構成されています。普通ザンジバルと呼ばれているのは、前者のUnguja島のこと。

そんなPembaはどんなところかというと・・・

水は主に浅井戸を汲み上げているけど、もちろん煮沸して飲むのは必須、ゴミ処理システムはほとんど存在せず。中でもPembaのさらに小さな島の1つでは、トイレが1つも存在せず、水源も存在しないため、住人が使う水は全て本島(Pemba)から船でタンクで運んでる・・・よって常に水不足。毎年そこからコレラアウトブレイクが勃発し、本島まで渡ってくる、という悪循環。マラリア、フィラリアなどの蚊媒介感染症率は、各種コントロールプロジェクトのおかげで相当に下がっている昨今ですが、寄生虫感染はまだまだ蔓延っています。ローカルなお医者さんは1人もおらず、イタリア、キューバ、中国の3カ国から派遣されているお医者さんたちが唯一のプロフェッショナルな医師(あとは伝統的なhealer)、と公衆衛生に纏わる問題にはことかきません。というのも、政治的理由により(PembaがザンジバルのOpposition partyをサポートしているため)Pembaには政府からなかなかお金が回ってこないの。

そんな敬虔なイスラム教徒の住むPembaではありますが、プロのダイバーには世界でもトップ5に入るといわれるダイビングスポット。海は青く澄み渡るさんご礁の島。島民たちはいたって平穏で暖かく、町(村?)を歩けば、みんなが「ジャンボ~」と声を掛け合い、子供たちははにかみながら手を振ってくる美しい島。島民の収入源は農業と小規模漁業。そして、主食は米。毎日米と海産物を食べる生活は、日本人にはぴったり。ここ30年あまり、殺人事件はおろか、喧嘩すら見たことない、というくらい、のんびり平和な島です。





そんなPembaに、うちの部局のDirectorがイタリアNGOと一緒に設立したPublic Health Laboratory (PHL) があり、そこに1ヶ月ほどお世話になっています。DirectorとこちらPHLのみなさまのご好意により、最初の2週間はイタリア政府とイタリアの国立大学によってオーガナイズされた感染症コントロールのトレーニングに特別参加させていただいております。アフリカとヨーロッパの様々な国の若手ドクターや公衆衛生従事者が20人ほど来て、熱帯病に関する様々な講義を受けたり、実地研修を受けたりします。そして、残る2週間ほどで、実際に調査に参加。On the job trainingってやつです。

ちなみに私は、イタリア人のおじいちゃん医師(元外科医さんで、引退後シニアボランティアとしてペンバに赴任しています)、とその奥様と一緒に、PHLの持ち家にステイしています。このご夫婦がとっても可愛らしく、なんだか自分のじいちゃんばあちゃんと一緒にいるようです。トスカーナ地方の小さな町出身の2人。おじいちゃんは30年前に、我が部局のDirectorと一緒に、ボランティアのイタリア人医師としてPembaに赴任していたそう。おばあちゃんは元小学校の先生。

ちなみにホットシャワーはなし(まぁ、仮に設備があったとしても、ほとんど毎日停電なので、水がホットになるチャンスは相当低い)。ジュネーブから持ってきた電熱線は1日で壊れちまった。残念。もちろんインターネットもテレビもなし。朝の5時には近所のモスクからお祈り的なものが流れ、それにやたらニワトリやら犬やらが共鳴するので、自動的に早起きになります。

そんなSimpleだけど平和で健康的な生活を送っております。
停電により、ケロセンランプの灯りのもとPCをたたく。あ~、こんなとき、バッテリーの長さを第一優先にLet’s Note(Panasonic PC)を選んで本当に良かった、と心から思う。