2009年10月26日月曜日

To give or not to give?

お世話になっているイタリア人グループのお友達という方が、「貧しいアフリカの(Pembaの)子供たちに」と、子供靴を送ってきました。問題はその数。合計4つ。しかも全てバットマンの絵柄のついた男の子用。なぜ~。

「貧しい子供を助けたい」うん、その気持ちはよく分かる。しかし、これが現場で混乱の元となるのよ、とほほ。

今回私たちが出向いている小学校は全部で3つ。駆虫して回っている子供たち、各学校100人。つまり合計300人。そして男の子用の靴4つ。

靴を送った人の希望は「一番貧しい子供4人に」って、おいおい、どうやって貧しさに順位つけんのよ。スタッフ間で議論が飛び交います。「靴を履いてない子」「サンダルが一番汚い、或いは壊れている子」「洋服が一番ぼろぼろな子」・・・そんな外見だけで選べません。残念ながら、生徒ほぼ全員該当者ですし。

また、一歩譲って、一番貧しそうな子供を選んだとしよう。そこで靴をもらえなかった子たちともらった子の間に必ず生まれるであろう嫉妬、いじめ、悲しみ、・・・。結局は、4つのきれいな靴は、子供たちをHappyにするどころか、もらった子ももらわなかった子もどちらをも辛い気持ちにさせて終わるのが目に見えちゃう。

さらに教育的知見からも「一番貧しそうに見える子には、誰かが恵んでくれるのは当然」という意識が子供のときから植え付けられるのは危険。現にアフリカの多くの国が「援助慣れ」してしまって、もはや自分たちで努力することを忘れて援助に頼りっきりになってしまっている感があるのは有名な話。研修コース参加中にも、アフリカからの参加者との議論で何度も白熱した論点。ま、これについては、語りだすときりがないので、また今度。

なにはともあれ、今回は、本来はAll or nothing、全員に平等に配れないなら、むしろ誰にも配らないほうが良い、という意見が多かったものの、「靴を子供たちにプレゼントする」と約束してしまった側の責任もあり、それなら運動会とか試験とかの機会に「よく頑張った子が、賞金として靴をもらえる」という形にしたら良い、という意見が出、しかしそんな機会はないと現地スタッフは引き気味で、最終的に現地スタッフが、なぞなぞみたいなクイズを適当なクラスに出して、クイズに正解した子に配ることにしてしまった。

で、最後のクイズに3人が残り、残る1問で2人を決めることに。その最終問題がまた、現場にいた私を指差して

「このお姉さんはどこの国から来たでしょう」(あたしか!)。

しかも答えが、1人は正解(日本)、1人はインド(!)、もう1人はダルエスサラーム(!!しかも国じゃないし)。

で、それまでのクイズ正解数と合計して、3人のうち2人が靴を受け取ったのでした。

あぁ、靴を受け取れなかった最後の女の子の、今にも泣き出しそうな顔・・・。この理不尽さに憤りを感じずにはいられず、思わず議論してしまったけど、しかし、人によって考えは違うもんで、議論してもきりがなく。

開発援助に必ずついて回るこのbig issueについて、色々考えちゃいました。

8 件のコメント:

  1. 1人でも,日本人って認識してくれてて良かったね~。インド人はともかくとして,ダルエッサラームって・・・アフリカ出身に間違えられるとは,益々国際的になってるようですね。めざせ多国籍(無国籍?)人!

    そんな私も,ちょうど今日,タイのある研究所の所長と間違われました・・・廊下を歩いててすれ違った職員の子供に,突然「ワイ」をされたので,僕も挨拶をしました。直後,その光景を見ていた別の職員に,
    「あなた,あの子に○○所長と間違えられたわよ」
    って笑われてしまいました。ははは・・・ちなみに所長の彼は,本年もって46歳(泣)

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  2. こういう話って身近にないからすっごく勉強になるし、考えるきっかけになるよ。少しでも役に立ってほしいと思ってやったことが現場の混乱を招いてしまったらすごく悲しい。無知は罪だね。アフリカ諸国が援助慣れしているのも知らなかったよ。またシェアしてね。

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  3. なるほどねぇ・・・。
    これは考え方の違いもいろいろあるだろうから、議論に議論を重ねないとなかなか皆が納得する良い方法ってみつからなそうだね。
    aYaちゃんのブログはとてもためになります☆

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  4. >なまはげさん

    ははは。いや~、子供って正直・・・いやいや、きっと所長が若作りなんですよね♪ 私の愛するBKKは元気ですか?Tusharaもそちらにいるとの噂。いいな~。私の分までソムタム食ってきてくらはい!

    Pembaじゃ日本って知名度高いんだか、低いんだか。今日は小学校の先生から「昔地理で学んだんだけど、日本は四国と本州と北海道と九州からできてるんだろ!」って、その知識、だいぶディープでしょ!(笑)

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  5. >ちい

    難しいよー。持てるものが持てないものを助けるのは当然な一方で、それに慣れて、ひたすら口をあけてご飯が無料で振ってくるのを待ってる人たちもいる、という悲しい現実もあり。でも、やっぱり安全な水がなくて子供たちが死んでいるのを見たら、これは何とかしなくちゃいかん、と思うわけで。どこまで援助するか、どうやって?って、まだまだ私も知識・経験不足です。

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  6. >aya laughちゃん

    いや~、ためになるだなんて、恥ずかしいっす。私もまだまだ勉強中だものー。意見が色々異なるたくさんの人をまとめる難しさは、むしろaya laughちゃんのほうがたくさん仕事で経験しているはず!そんなaya laughちゃんもキャリアチェンジの時期なのかしら(日記読みました)。今までたくさんのことを経験してるaya laughちゃんの今後の報告も楽しみにしてるよ~☆

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  7. すでに次の日記が出てしまったけれど、読んでからずっとこのことばかり考えてしまったよ。
    「あげる」っていう前提の下では取り得る最善の策が取られたのではないかと思われて、なるほどーと思いました。
    どこかに落としておいて拾った人のもの。。。とかじゃくれた人に報告できないかしらとか。
    援助慣れっていう言葉にも、日々あまり向上せずになんとなく生きていけてしまうことも一種の社会からの援助慣れかもっていう危機感を感じてしまったり。
    すごく話し合う素敵な現場にいるんだね。

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  8. >シナコ

    「日々あまり向上せずになんとなく生きていけてしまうことも一種の社会からの援助なれかも」って、なるほど~、と納得してしまった。さすがシナコ。たしかにそうかも。特に今の若い日本人って、与えられることを(お金でも仕事でも)当然として生きてる傾向があるじゃない?そんで、うまく行かないと、自分のせいじゃなくて、他人や社会のせいにする(で教授を指す卒業生がいたり、苦笑)。これも一種の援助慣れかもしれないね。

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