ダカールから戻ってあっという間に2週間がたちました。帰国するや否や会議の嵐。特にはじめの1週間は、色々あってこれまでで1番ストレスを感じた1週間でしたが(ストレスのあまり、先週の土曜日は、買い物欲の全く沸かないこのジュネーブで、買い物しまくってしまったよ、汗)、大変勉強にもなりました。
途中やることがありすぎて、うおーっ!と心の中で叫んだこともあったり、なかったり。でも、めんどくさいっ、できんっ!と放らずに(小心者ゆえに放れない・・・)、こつこつやっといたおかげで、嵐が去った今週は、会議諸々もなんとか成功し、やっと一息できています。
今週末はだらだらするのだ!と宣言。
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ダカールの話に戻ります。
1.ダカールは大変美味しい町でした。日本人にはたまらんです。
生&炙りウニ!生牡蠣もあるんだって(旬じゃなかったから食べれなかったけど)。
シジミ的なもの。アワビ串焼きもたらふく食べました(写真忘れた)。
なんでも、牡蠣などの養殖は、日本の海外協力隊が技術移転(?)して、現地ビジネス化に繋げたらしい。セネガルは、お米もJICAがネリカ米の生産をサポートしているそうで、お米も大変美味しいのでした。JICA、いいことやってるじゃないの、と食を通じて感謝。
感動の手巻き寿司(泣)。会議でお会いして大変お世話になったJICAのHさんの御宅にて。一期一会です。
ちなみにこれがダカールの代表料理チェブジェン。魚・野菜の炊込みご飯。日本の炊込みご飯と変らんです。とっても美味しいです。これは同僚宅にて。
他にも、ホテルの横に『ダカール寿司』という現地人さんが握るすし屋があって、これまた美味でした。海の無いスイスから来た子には、新鮮な魚のあるセネガルは夢の地でした。もう、セネガル、赴任したい!(でも、現地事務所には大変優秀な現地スタッフがいるので、叶わぬ夢です、笑)。
2. 週末の空いた時間を使って少しだけ観光しました。
ダカール沖3kmに浮かぶゴレ島。
ちょうど水泳大会やっていた。ダカール人は本当にスポーツが好きやね。
ここは、15世紀以降奴隷貿易の奴隷積み出し港となった場所。「奴隷の家」と呼ばれる、西アフリカ諸国から奴隷として連行されたアフリカ人が収容されていた建物があります。ここから「売り手」がついた奴隷たちは船積みされて各国へ運ばれ、体力がなかったり、反抗したり、妊娠したりして「売れない」奴隷たちは海に投げ込まれ、サメに食べられたそうです。サメに食べられた奴隷、数百万人との記録。
こんな部屋に何十人もぎゅう詰め。もちろんトイレなし。
ここから船かサメへ。
人間って本当に恐ろしい生き物だ(怒)。
ダカールから少し離れた「ピンクレイク」という塩田湖にも行きました。時期によっては、湖が本当にピンク色に見えるらしいのですが、雨季だったため、ピンクじゃなかった(泣)。
道中の市場。
道中で果物を購入する同僚たち。
そんなこんなで、忙しくも楽しく充実したセネガル出張でした。まだまだ宿題が残っているので頑張ります。
2010年10月20日水曜日
2010年10月4日月曜日
ダカールに来ています。
セネガルのダカールに来ています。
保健省チームと、ドナーたちと、アメリカの某研究所コンサルタントと共に、NTD対策国家政策の運営計画を細かく詰めて、予算案を完成させるのがタスク。
初日、まずはセネガルチームのチームワークの良さに感動。いくつもの疾患対策を統合して計画を立てるのですが、疾患別プログラムマネージャーたちのみならず、本当にたくさんのドナーたちが一緒にテーブルにぴたっとついて、頭を突き合わせて計画を練る。保健省がしっかりNTD対策プログラムのリーダーシップを取っている証拠。
そして面白かったのが、テーブルについたのが20人くらいだったんだけど、白人1名(NGO)のほかは、数名のアジア人と現地セネガル人のみ。アフリカのこういうテーブルでこんなにたくさんのアジア人を見るのは珍しいので、不思議かつ嬉しかったです。香港系カナダ人(コンサル)、韓国人(NGO)、日本人(JICA)、そして私。
さらに驚いたのが、セネガルの食卓に普通にのっかっていたベトナム揚げ春巻き。名前も「Nem」とベトナム語のまま!なんでも、フランス植民地であった時代に、同じくフランス植民地であったベトナム人が結構連れてこられたみたいで、ベトナム料理が普通にセネガル料理に混じっていったそう。そもそもセネガル料理は、『白米+魚・肉』っていう感じなので、日本人的にばっちりです。海の無いスイスから来ると、毎日海の魚を食べられるのが幸せであります。日本人はやっぱ海の子ですね。ひたすら海産魚食ってます。
もうひとつの驚き、というか感動。途上国では、テニスやバドミントン、卓球、のように楽しめるスポーツは見るのですが、基本的に苦しいだけで、「自分との戦い」的スポーツの代表であるマラソン、ジョギングをしている人を見ることはないのです。でもダカール、ジョギング人口の多いこと!夕暮れ、海沿いの道路をたくさーんのセネガル人が、ジョギングウェアに身を包んで、走る、走る。自分も走るくせに、なんのために?自分のために?健康のために?と思わず問いかけてしまいたくなる光景でした。いいぞ、ダカール人!
それにしても、基本的に仕事中も仕事外も会話はほとんどフランス語なので、特に会議中は集中力使いすぎて、本当に疲れるよ。まぁ、私はたいがい喋る時はあきらめて同僚アンゴラ人に通訳してもらっているだけど(笑)。超インテンシブフランス語講座を受けている気分です。モチベーションもあがるってもんですわ。ジュネーブに戻ったら、もう一度頑張ろう。。。
タクシーの車窓から。青い空、青い海。
ブーゲンビリアが咲きほこる。
今週中に全タスクを終わらせられるように、今日もがんばるぞ。
週末は同僚たちと観光できたのですが、ネット環境が悪いのでは、続きはまた。
保健省チームと、ドナーたちと、アメリカの某研究所コンサルタントと共に、NTD対策国家政策の運営計画を細かく詰めて、予算案を完成させるのがタスク。
初日、まずはセネガルチームのチームワークの良さに感動。いくつもの疾患対策を統合して計画を立てるのですが、疾患別プログラムマネージャーたちのみならず、本当にたくさんのドナーたちが一緒にテーブルにぴたっとついて、頭を突き合わせて計画を練る。保健省がしっかりNTD対策プログラムのリーダーシップを取っている証拠。
そして面白かったのが、テーブルについたのが20人くらいだったんだけど、白人1名(NGO)のほかは、数名のアジア人と現地セネガル人のみ。アフリカのこういうテーブルでこんなにたくさんのアジア人を見るのは珍しいので、不思議かつ嬉しかったです。香港系カナダ人(コンサル)、韓国人(NGO)、日本人(JICA)、そして私。
さらに驚いたのが、セネガルの食卓に普通にのっかっていたベトナム揚げ春巻き。名前も「Nem」とベトナム語のまま!なんでも、フランス植民地であった時代に、同じくフランス植民地であったベトナム人が結構連れてこられたみたいで、ベトナム料理が普通にセネガル料理に混じっていったそう。そもそもセネガル料理は、『白米+魚・肉』っていう感じなので、日本人的にばっちりです。海の無いスイスから来ると、毎日海の魚を食べられるのが幸せであります。日本人はやっぱ海の子ですね。ひたすら海産魚食ってます。
もうひとつの驚き、というか感動。途上国では、テニスやバドミントン、卓球、のように楽しめるスポーツは見るのですが、基本的に苦しいだけで、「自分との戦い」的スポーツの代表であるマラソン、ジョギングをしている人を見ることはないのです。でもダカール、ジョギング人口の多いこと!夕暮れ、海沿いの道路をたくさーんのセネガル人が、ジョギングウェアに身を包んで、走る、走る。自分も走るくせに、なんのために?自分のために?健康のために?と思わず問いかけてしまいたくなる光景でした。いいぞ、ダカール人!
それにしても、基本的に仕事中も仕事外も会話はほとんどフランス語なので、特に会議中は集中力使いすぎて、本当に疲れるよ。まぁ、私はたいがい喋る時はあきらめて同僚アンゴラ人に通訳してもらっているだけど(笑)。超インテンシブフランス語講座を受けている気分です。モチベーションもあがるってもんですわ。ジュネーブに戻ったら、もう一度頑張ろう。。。
タクシーの車窓から。青い空、青い海。
ブーゲンビリアが咲きほこる。
今週中に全タスクを終わらせられるように、今日もがんばるぞ。
週末は同僚たちと観光できたのですが、ネット環境が悪いのでは、続きはまた。
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