2010年5月30日日曜日

ハイジの世界でハイキングぅ

昨日は大変天気がよく、同僚と元同僚と、ハイキングで行ってまいりました。

まずは、ジュネーブから車で1時間ほどの山の上Vallorbe。風景はまるで、奥入瀬渓谷?





Grottes de Vallorbeという鍾乳洞がある。





1ヵ月後に戻ってきたら、野いちご食べ放題だってよー。



そこからさらに車で30分ほど移動して、Lac de Jouxという湖へ。ボート漕いで、ボートの上で昼寝した。





さらに車で進んで、Col de Marchairuzというエリアへ。そこはまるで、アルプスの少女ハイジの世界!お花畑に牛さんがいっぱい。たらら~。



牛さん・・・(のどの下についたでっかい鐘の鳴らす音がなんとも癒し。)



牛さん・・・可愛いぞ!



牛さん、カメラ見て!と注文中のわたし(若干怖いので、距離がある)。



あ~、楽しかった。鍾乳洞の時点では、まだ仕事のことを考えていた、という不幸な私でしたが、湖に来た時点で完全に頭の中はからっぽ。心からリラックスして、幸せでした。牛さんに会いたくなったら、また会いに行こう。あの、肥やしの香り(?)と鐘の音がなんとも言えないのよねぇぇぇ。

キムチ日記の結果大公開

そういえば、キムチを手作りした結果を、長いこと書き忘れておりました。

白菜丸ごと版と白菜切った版の2種類で比較実験したのでした。以下、レシピであります。

①お塩で白菜を一晩浅漬けして、軽く水でゆすいでおく。
②以下のものを、ビニール袋をかぶった手で、混ぜ混ぜして、ヤンニョムつくる。

にんにく(2欠片)すりおろし
生姜(親指1つ分)すりおろし
りんご(4分の1)すりおろし
煮干の粉末だし(適量)
子ネギみじん切り(適量)
唐辛子の粉(適量)
アミの塩辛の代わりに、日本食材屋で買ったイカの塩辛(缶コーヒー半分以上)



③白菜丸ごと版では、葉っぱの1枚1枚に、ヤンニョムをぬりたくる。



白菜切った版は、そのまま葉っぱのヤンニョムを一緒にモミモミする。

④1日室温で、その後冷蔵庫に移動して、ひたすら待つ。



⑤1週間後に開封(といいつつ、待ちきれず、実は毎日味見する)。



左が白菜切った版。右は白菜丸ごと版。



結果

白菜切った版は発酵が早いので、2,3日でもう旨い。でも1週間待つと、やや酸っぱくなってくる(こういう場合は、チゲ鍋にでもするべし)。白菜丸ごと版は、ゆっくり発酵するらしく、1週間後が甘みがあり、マイルドで、一番旨い!

結論


急いで食べたいときは白菜切って漬ける(ヤンニョムと混ぜ混ぜが簡単)。でも、じっくり、より美味しいキムチを作りたい場合は、白菜丸ごと版で1週間待つ。

おまけ

混ぜ混ぜに使ったボールは、永久に赤くなるので、注意。
それから、イカの塩辛がキーである。これが、キムチさんにすごいコクを与えること判明。
手作りキムチは、旨すぎて、1週間であっという間になくなりました。でも、思ったより作るの簡単だったので、イカの塩辛が手に入る限り、どしどし作りたいです(といいながら、その後1度も作っていない・・・)。

2010年5月28日金曜日

あぁ 憧れの宇宙飛行士さん

ワシントンでの出会いや仕事について書こうと思っていながら日々忙殺されているうちに、今日はまた素晴らしく嬉しい出会いがあったので、そちらの話を(日記は、感動している間に書かないとだめですね)。

にゃんと、今日は高校時代から憧れの女性にお会いしたの~涙涙涙


アジア初(もちろん日本初)の女性宇宙飛行士、向井千秋さんです。

ジュネーブに本部がある世界気象機関の諮問委員になっている向井さん。実は、私が勤める機関の、私の大大ボスである先生と大学時代の同級生でもあることから、ジュネーブの会議にいらっしゃった向井さんに、我が機関で「気候変動と健康」についてお話いただいたのです。

ランチセミナーでは、医学者である向井さんに、医学的視点から宇宙における実験・研究について、写真・動画つきで解説いただき、その後は、大大ボスのご好意で、日本人女性スタッフに限り、ランチをご一緒させていただいたのです(1年ぶりのとんかつ弁当でした。ここにも涙)。

もともとはお医者さんである向井さん。宇宙飛行士になった人は、宇宙から地球に戻ってきたら、何をしているんだろう(肩書きは『宇宙飛行士』であることが、どうしたって、大強調されちゃうし)、と不思議に思っていたのですが、向井さんはJAXA(宇宙航空研究開発機構)の宇宙医学生物学研究室長をされているそうです(この間までは、フランスの研究所で客員研究員(教授?)をされていたとか。なるほど。

言っときますけど、あたくしは、向井万起男さん(向井千秋さんのだんなさん)が奥様について書かれた本を高校時代に読んで以来、向井さんの大ファンです!ロンドンにはかつて、本など日本からほとんど持って行かなかったのに、万起男さんの『君についていこう』だけはバイブル的に持っていったくらいです!ご本人にも、自己紹介ついでに真実を断言し、ミーハーにも写真を取っていただきました。えへへ。

向井千秋さんは、本で読んでいたとおり、いや、それ以上に、とてもオープンで、おしゃべり好きで、とても暖かく、フランクで、謙虚でありながら、大変な努力をされて「医者になる」と「宇宙飛行士になる」という2つの夢を実現されたご経験から「夢は必ず叶う!」というメッセージを強く伝えてくださり、質問の嵐に話も尽きず、宮沢賢治風に「そういうひとに、わたしはなりたい」と強く思う、素敵な女性でありました。お話も、面白かったです。

特に心に残ったのがこの話。

「スペースシャトルの中では、色々な国籍や職種の人が7人一緒に生活していたわけだけれど、国籍による違いよりも、職種(医者、研究者、軍パイロット、エンジニア)や教育経験のほうが、ずーーーーーっと大きな違いで、それによって、問題の解決方法やアプローチが全く違うの。」

なるほど、そうかもしれない。この言葉に、同僚のウガンダ人が大きく頷いていた。

ただ一方で、熱帯病に苦しむ途上国の人々の被害を少しでも軽減するために、必死にResource morbilizationしている私達と、何億もの資金が宇宙事業というロマンに費やされているであろう現実。人間はいまや数分で宇宙に行けてしまう一方で、道路が存在しないために、250キロの距離を薬を運べないアフリカ。

宇宙に行けるようになってしまった私達、本気でやれば、本当ななんだってできるはずなのにね・・・と我が部局の大先輩は言う。

向井さんに会えた幸せと、現実問題を新たな視点から考える機会をいただけたことに感謝。

2010年5月23日日曜日

すごいぞ、あめりか。

ただいまです。ワシントン出張は、火曜の深夜到着、そして金曜の夜出発、の強行スケジュールでした(土曜日ジュネーブに到着して、日曜に今度はハノイに飛ぶ予定だったので。でもハノイ出張は6月中旬に延期となりました。)。

初あめりか。感想は・・・・すごいぞ、あめりか!

百聞は一見に如かずです。これまでアメリカなる国に全く興味を持ったことがなかったために(いまだに先進国にはあまり興味なし)、これまで旅行などでアメリカを訪れたことはなかったわけですが、とても面白い国でありました。あちらこちらでアメリカという国の国力を見ました。

1.みなさんが、とっても親切かつフレンドリー


人と人の距離が短い。人々が近いのです。はっきりいって、途上国的(笑)、良い意味で。みんな、暖かいです。これに比べたら、日本もヨーロッパも、人と人の距離が大きい!アメリカ滞在の長かった人がジュネーブに来て、人々の冷たさ、不親切さにショックを受け、ストレス感じまくりな理由が、はっきりと分かりました。変な例えかもしれませんが、途上国から東京へ留学してきた子が、みんな東京の人の冷たさ、よそよろしさに寂しさを感じる、そんな感じでありましょうか。留学するなら、アメリカがいいよ、きっと。

2.なにもかもでかい!

アメリカといえば、ステーキ!ということで、有名らしいステーキ屋さんに入ったら、巨大なウェイターさんが超フレンドリーで、そんな彼がサーブしてくれたステーキが・・・男物靴の中敷、のように巨大でした。日本だったら、家族で1枚、ベトナムだったら、家族で1週間で1枚。そんな大きさです。。。残念ながら、長旅と長いミーティングで疲れた(歳か?)胃には、3分の1しか平らげることはできませんでしたが、味はとっても美味しかったです。


こんなものを生まれたときから毎日食べているアメリカ人には、米と魚ばっかり食べてる小さな日本人は、どうしたって戦争で勝てるわけがない、と確信したのでありました。

スミソニアン博物館も、巨大な上に全館無料!どれだけ寛大なんだ、アメリカよ。さすがの国力です。

3.人種のるつぼ

ロンドン以上に人種のるつぼ。アメリカは、世界中からの移民によってできあがった国ともいえます(イギリスには、やはりピュアなイギリス白人がいっぱいいる)。白人も黒人も黄人(?)も、みーんな同じステイタス。ヨーロッパにいる時より、「お客様」感がありません。

4.国民はみなアメリカ大好き

これは、あくまでワシントンで感じたことです。タクシーの運ちゃんは黒人が多かったのですが、みんなアメリカが大好き。ヨーロッパにもいたことがあるけれど、やっぱりアメリカ、最高だよ!って話す人が何人か会いました。

アフリカ大陸と同じような面積を1つの国として管理するアメリカ。そこに住むアメリカ人がみんなアメリカ大好きだったら・・・アメリカの強さを見ました。

日本は日本の良さを忘れずに、もっと頑張らなくちゃあかーん。

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さて、観光する時間がちょこっとしかなかったんだけれど、それでも一応、ホワイトハウスとスミソニアン博物館に行ってきました。

ホワイトハウス。こんなにオープンでいいのか、オバマ宅。


Capitol Hill。アメリカの国会議事堂。


ワシントン・モニュメント。



スミソニアンはあまりに巨大なため、見るべきテーマを絞ったのですが、一番面白かったのが、アフリカン・カルチャーとアラスカのイヌイット・カルチャー。自分の興味の先がよく分かりましたね~。

素敵な出会いもたくさん。仕事もうまくいった。でも、長くなったので、その話は次回です。

2010年5月19日水曜日

ワシントンDCつきました。

出張で、昨晩ワシントンに到着しました。ただいま朝6時半。

今回の出張はひとり。しかも、初あめりか。

飛行機は長かったにも関わらず、フラットシートで根っころびながら、貧乏根性丸出しでひたすら映画を見みまくってたら、寝る間もなく、あっという間に到着しました。

ダラス空港に到着したのが、20時半くらい。アメリカは荷物のチェックが厳しい、と言われていたのですが、全然なし。な~んだ、と思ったのもつかの間・・・別のところでザ・USAの洗礼を受けることになりました。

イミグレーションが長蛇の列。最初は15人くらいのイミグレ・オフィサーが数百人のお客さんを裁いていたにも関わらず、列がすすまん!で、1時間ほどたって、やっと残り100人くらいになったところで「10時だからシフト終了」といって、2人を残してイミグレ・オフィサー全員が、突然帰り支度始めるじゃないですか!!!

15の列にみーんな並んでいるのに、完全無視。こっちは「おいおい!」と突っ込むも、残る2つの列に殺到する以外に道なし。ここで、せっかく終わりが見えていたWaitingがまた振り出しに・・・(号泣)。

もう時差もあり(ジュネーブ時間の深夜3時)へとへとだっちゅうのに、イミグレ・オフィサー、いちいち、対応する客(?)とおしゃべりかましてるし・・・。おい!いいから、さっさと終わらせろっ!

みんなで怒り心頭・・・だったんだけど、それまで怒っていた人たちも、イミグレ・オフィサーの前に行くと、世間話して声上げて笑ったりして、それまでの怒りも忘れて「ばいば~い」と去っていく・・・。アメリカ人の不思議なパワーを見ました。

・・・と出だしは怒り心頭で「もうアメリカになんか来るもんか!」と思っていたのですが、その後は、その思いを新たにする出来事が3つ。

1)その1

さて、やっと荷物を取って外に出たのが22時半。聞きづてに、市内に出るバス停に来ると、殺到する乗客に対して、バスの運ちゃんが「レディーファースト!」と叫び、先の通してくれました。レディーでよかった。

2)その2

バス代は4ドルだったんだけど、50ドル札しかもっていなかった私。バス内では、両替できんという。が~ん。また外に出て、両替してくれる場所探すなんて、やだよ~、疲れたよ~、と頭の中で叫んだ瞬間、運ちゃんが

「誰か、50ドル、この子に両替してあげられるやつ、いるか~?」

と大声張り上げると、なぜか黒人ばっかりだった乗客のみんなが、必死に財布の中を探してくれて、結局丁寧に両替してくれたのでした。助かりました。まじで。

3)その3

やっと市内に到着したのが23時半。右も左も分からん私に、また運ちゃんが「どこ行くの?」「チャイナタウンにホテル予約してあるの」「じゃあ、そこのメトロのエスカレーター下って、グリーンラインで1駅だよ!」

そしたら、乗客の1人だった黒人のおじちゃんが「僕も同じホームに行くから」とガイドしてくれた。切符買う自販機の前で、意味わからず佇むと、おじちゃん、「チャイナタウンまでは1.4ドルだよ。ここにお札入れるんだ」と言って、複雑に見える自販機のボタンをかちかち押して、切符かって、つり銭渡してくれた。

そしたら、電車が来た音がして、2人で走って。おじちゃんは反対方面に乗るはずだったんだけど「この電車に乗って、2駅目を降りるんだよ!Good luck!」笑顔でばいばいしてくれたのでした。

初日の結論・・・アイ・ラブ・アフリカ。違う?

飛行機の中で見た映画の二つがアフリカものだったし、持ってきた本もアフリカに関する本(『ルポ資源大陸アフリカ』)で、頭の中がアフリカンだったときに、アフリカ系のみなさんのHumanityに出会って、イミグレーションで荒んでいた心が癒されました。

さて、お仕事へ乗り込んできます。向かう先はUSAID。ホテルから徒歩圏らしいので、お散歩しながら行きます(ホテルが中華街の真ん中で、疲れていたのが、醤油のにおいをかいで吹っ飛びました)。

今夜はお友達の知り合いの方に、明日の夜は、だんなさんの赴任でNYに来ている幼稚園・小学校の同級生ちーがDCまで会いに来てくれるので、15年ぶり?もっと?の再会。最終日の夜は、今月からたまたまDCで仕事を始めた友人Franciscoに会うのだ。

だから、仕事も頑張るのだ。ではでは~。

2010年5月15日土曜日

スイスの建具士 黒川さん(スイス人です)

今週末は、久々にゆっくりできる、嬉しい土曜日です。

今週は日本からのお客様とのディナーが多かったのですが(来週大きな会議があるので、省庁から人が来ている)、若手官僚さんたちとお話するたびに、みなさんのお国に尽くす真剣さ、深い知識と政治的センス、分析力、外交力を駆使して、世界における日本の立ち居地を確立するために、時間も惜しまず戦略を練っている皆さんの必死な様子に、わたくしは結構心を打たれました。私にもまだまだ勉強すべきことが山のようにあります。

わたしがいま関わっている熱帯病対策をリソースの限られた途上国で推し進めるためにも、またそれに我が日本が貢献できる可能性を見出すためにも、自分は喜んで間をつなぎたい、と思う。

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と熱い思いは置いといて、Namは無事月曜に日本に戻りましたが、Namと一緒に実はとても面白いご夫婦にお会いしました。

自称黒川ご夫婦。

ご夫婦はスイス人なのですが、建築家であるだんな様は、35年前に文部省奨学金を受けて、東工大に留学されていて、その間奥様は津田塾大でドイツ語を教えていたの。で、日本に惚れ込んだわけです。で、その後はアジア各国で建築家としてお仕事されていたのですが、数年前に再び日本の愛媛県内子町を訪れ、建具屋さんに弟子入りして(その間、奥さんは町のおばさんたちを先生に、日本語勉強に励む)、ふすまや障子、雪見窓などの作り方を学び、チューリッヒに戻って、建具士としてアトリエを開いているのです。

ちなみに、黒川ご夫婦は、Namが昔WHOハノイオフィスに勤めていた頃の上司(オーストラリア人建築士)の大の仲良し。「スイスに行ったら、ぜひ連絡とって会いに行って!」と紹介されていたので、早速メールしてみると・・・

「お部屋があるので、ぜひ泊まりにきてください!WASHOKU(和食)の夕飯も用意します!」

と熱いメッセージが。お言葉に甘えて、Nam、私、それに黒川さんご主人の出身校であるETH(チューリッヒ工科大学。スイスの東大のようなもの)にポスドクとして赴任中の友人Kくんと3人で遊びに行ったの。

黒川ご夫婦は、鉄工場を改造したコミュニティーに住んでいます。元工場の中に、一戸一戸デザインの違うおうちや、若手デザイナーのアトリエ、アーティストのアトリエ、カウンセラーさんのアトリエ、建具屋さんのアトリエ、ギャラリー、シアター、体育館、バー、などがあるのです。







黒川氏が建築家としてデザインした黒川家は障子がたくさん(靴紐結んでいるのは、奥様)。



日本風呂もあるの。



焼却炉風にゴミを燃やして火を出すCooker。



虹鱒を暖炉で焼く黒川氏



奥さんお手製の会席料理WASHOKU。これでK君は感動の涙を流しました。
1)前菜



2)メイン



シンプルだけど美味しい朝ご飯



庭は住人みんなで共有



黒川畑。春菊が育っていました。



アーティストによるオブジェ。近所にあるスイス軍訓練所で使った大砲の弾の殻を溶接して作ったそう。



雪見窓つき建具道具入れ(黒川氏作)



若手デザイナーのアトリエ





家のドアも開けっ放しで、コミュニティーの子供たちはみんなで育ててるので、毎日いろんなお家で寝るらしい。車も数台をみんなでシェアしてるんだって。エネルギーはソーラーパワーで。面白いなぁ。

次の2つの写真。奥様が津田塾大学で教えていた頃、ドイツ語の教材を作るにあたって、「男性と女性が出会って、お互いに興味をもって、恋に落ちて、最終的に結婚する」という、出会い系会社の先駆けの広告(ドイツ語)を参考に・・・



若かりし黒川夫婦が同じものを作ったのがこちらです。写真のカップルは全て、若かりし黒川夫婦です。高級感を出すために、35年前に既に高級住宅地であった田園調布の知らん人の家の前とかで、ポーズ決めて写真撮ったりしたそうな(爆笑)。



そんな黒川ご夫婦、お子様がいないのですが、なんとボートピープルとしてヨーロッパに逃れたベトナム人を4人も養子にしていて、既にベトナム人(国籍スイス人)の孫がたくさん。さらに、奥様のお兄さんはK君の所属するラボの元教授だったり、と、みんながどこかで繋がっていて、不思議な縁を感じました。

そして、黒川ご夫婦の、人生をとことん楽しんでいる姿に、私たちも今後の生き方をちょっと考えちゃいましたよ。一度しかない人生だもんね。

黒川ご夫婦、ありがとう!

黒川氏作の建具に興味のある方はこちらへ→

2人が住むコミュニティーはこちら→

ただし、全部ドイツ語です・・・。

2010年5月10日月曜日

ジュネーブで同窓会(というよりネパール人会)

先日、私とNamが修士課程を出たAIT(タイ)の同窓会@ジュネーブが開催されました。不思議なことに、ジュネーブにいるAIT出身者の9割はネパール人です。

そもそもの、ジュネーブにおけるAIT出身者との出会いは、遡ること数ヶ月前。WHOバドミントン部の中には、色々な国籍の人たちが入り乱れているんですが(所属機関も色々)、それまで半年ほど一緒に練習してたけど、身の程について詳しく話したことのなかったある1人のネパール人と、偶然一緒に体育館を出て車に向かうことがありました。で、どこで働いてるの?何人?前はどこにいたの?という質問から・・・

「前はタイにいたんだ」
「へー、私もタイに留学してたんだよー」
「へー、どこの学校?」
「AITっていうの」
「え?俺もだよ!」

と感動と興奮の出会いだったのです。しかも、住んでるマンションも隣でした。

しかも。もともと、AIT時代のクラスメートで仲良しだったネパール人Salataから、

「うちらの先輩ネパール人夫婦(どちらもAIT出身者)でね、奥さんがジュネーブで仕事見つけたから、だんなさんも一緒についていった、という人がいるよー」

って聞いてた奥さんが、この彼の奥さんだったことが判明。

そこで奥さんに繋いでもらうと、なんと私と同じ機関にお勤めで、オフィスが同じビルの、しかも同じ階で、まさに角曲がったところ、だったのです。

もうひとつの出会いは・・・仲良ししげちゃんが環境部署にお勤めで、その上司の一人がネパール人だと言う。そもそも、しげちゃんお勤め機関の環境部にAIT出身者のネパール人がいることを噂で聞いていたので「これは!!!紹介して!絶対先輩に違いない!」いうてDineshさんと繋げてもらって、これまた感動の出会いをしたのでした。

と、あれよあれよとAIT出身者がつながり。AIT出身者はみーんな家族みたいなもんなのです。今回の同窓会も、そんなDineshさんのおうちで開催され、ネパール人5家族と私たち、が集まりました。

中には同じ学科を出た先輩もいたり、共通の知り合いが結構いたり、集まったうち3人は同じ機関勤めだったり、と世界は狭すぎ、人類みな兄弟、を感じたのでありました。

これは大好きなネパール餃子モモ。皮がもちもち、辛いチャツネ(南アジアの漬物)を漬けて食べます。



これは国民性でありましょうか。居間に入った瞬間、男性と女性がくっきり分かれる。私は間に座って両方に首つっこんでましたけど。





でも途中からは、ギターが現れ、男女混合でのカラオケ大会が始まり、Namも参戦して、ベトナムの歌や日本の歌を歌ったり。

あー、楽しかったなぁ。AITに行って、本当によかったよ。なにより嬉しかったのが、頑張れば、国籍に関係なく世界で戦っていける、ってことを、みんなの存在が証明してくれていること。私たちも頑張るよー。

2010年5月9日日曜日

フランス奥深し

大変ご無沙汰しております。私は元気に生きております。

ここ数週間、ゴールデンウィークを利用してNamがジュネーブに遊びに来てたり、仕事が山積みだったり、で、ばたばたしておりました。いや、正確には、Namが来たことは全然ばたばたの理由ではなく、むしろ、毎日ご飯作ってもらったり、買い物しといてもらったり、大変助かりました。いやー、家に帰ったらご飯ができてる生活、素晴らしいですね。

こちらには当然ゴールデンウィークはないので、週末を利用して、フランスのリヨンへ足を伸ばしました。

リヨンは、フランス第2の都市で、パリより小ぶりで、綺麗でした。しかし勤労感謝の日(Labors's Day)だったのでほとんどの店が閉まってて、なおかつデモが行われていました。

『資本主義の危機!』



盆栽通り・・・









「本場フランス料理を食べよー!」

と意気込んで入ったフレンチレストランで、肉を注文したつもりが、よく分からん物体が出てきました。大量の骨が山盛りになっているの図(下)にしか見えません。食べ方分からず、ウェイターの兄ちゃんに聞いたところ、骨に絡みついた黒い物体(骨の中の油らしい)をパンに塗って、お塩をかけて食べるらしい。



・・・美味しいような、でも何よりも、アジア人の腹には重い!

翌日は、アジア料理に逃げました(泣)。しかもたどり着いたのが、寿司屋。やっぱこれでしょー。味噌汁飲んで幸せーをかみ締め。ジュネーブより安く寿司が食べれたから、いっか。